2008北京五輪――奇跡のクリアと、活かされたドーハの教訓
2007年11月21日@国立競技場(東京)
△0-0 サウジアラビア
引き分けでも突破が決まるという状況は、立場的には優位であってもメンタル的には難しい。指揮官は「勝ちに行く」と選手たちを送り出したが、勝利をより欲しているのはサウジアラビアのほうであり、なりふり構わぬ彼らの攻勢が立ち上がりの日本を苦しめた。
ハイプレッシャーをかけてくる相手に対し、日本はなかなかボールを前に運べない。両SBが積極的に攻め上がり、攻撃的MFと絡んで仕掛けてくるため、水野、本田圭の両サイドは1対2の状況で対応せねばならなかった。特長であるサイドアタックも繰り出せず、攻守においてチグハグ感が否めなかった。
そして8分、この日最大の危機が日本に訪れる。右サイドを切り崩され、決定的なシュートを見舞われる。この一撃は西川が弾いたものの、そこに詰めたのは、7番のアルゴワイニム。もはや、押し込むだけ――。誰もが失点を覚悟したその時、ゴールの前に立ちはだかったのが青山敏だった。
「なんであそこにいたか分からないです。アイツが僕に当ててくれただけ。もう、諦めていましたから」と、殊勲の男は謙遜するが、GK不在のゴールは、青山敏の奇跡的とも言えるビッグプレーによって守り抜かれたのだ。
その後、しばらくは押し込まれる時間帯が続いたが、25分を過ぎたあたりから落ち着きを取り戻し、逆に反攻に打って出る時間も増え始めた。
サウジアラビアのペースが停滞したこともあっただろう。だが、好転ポイントは前線の3人の守備時のポジショニングにあった。攻撃時には李と岡崎の2トップ、トップ下に柏木という構図が、守りの際には李が1トップ、岡崎、柏木はシャドー気味にワイドに位置した。
CBに対しては李が付き、SBにボールが入った時には岡崎と柏木が、プレスをかけに行く。役割分担がハッキリしたことで、日本を悩ませていたSBの攻撃参加を打ち消していった。
後半の流れは、完全に日本のものだった。50分に岡崎が決定的シュートを放つと、その後も李、細貝らがゴール前に迫っていく。それでもなかなかゴールは生まれず、相変わらずの決定力不足を露呈した。
だが、これまでの日本の戦いを支えてきた守りもまた、相変わらずの安定感だった。ボールの出所をしっかり抑え、相手FWに仕事の機会さえ与えない。それはサウジアラビアが攻撃の枚数を増やしても揺るがなかった。
「向こうが3トップにしてきたので、本田圭を下げずに抑え気味にさせたが、そういうことも、こちらが言う前に選手側で対応できていた」と反町監督は振り返ったが、これまで取り組んできた臨機応変な対応が、この大一番で自発的に発揮された。
そして終盤のパワープレーも青山直がことごとくはね返す。
アウェーでのカタール戦では意思統一の欠如から、ロスタイムに失点を喫したが、「同じ過ちをしないというか、選手全員が守り切るというイメージを統一できていたと思う」(青山直)と、ドーハの教訓を活かし、後半はシュートを1本も打たせず、最後まで落ち着いて守り抜いた。
勝ちに行くというプランは達成できなかったが、突破の条件を満たすドローという結果を、逞しく手に入れたのだった。
「非常に苦しい予選でした。でも、北京に行けます!」
反町監督の声は、明らかに上ずっていた。それは、計り知れない重圧から解放された者の抑えきれない感情の昂ぶりだった。そして普段はクールに振舞っている分だけ、そのギャップに安堵の大きさが際立った。
覇気がないと言われた。試合内容に不満が起きた。監督更迭論も浮上した。振り返れば、その戦いの歩みは心もとないものだったかもしれない。しかし、そうした苦難の道は選手たちを、どこまでも逞しくしたことだろう。
感情を爆発させ、歓喜に沸く彼らから、未来への希望の光がわずかに放たれた。
(週刊サッカーダイジェスト2007年12月11日号)
△0-0 サウジアラビア
引き分けでも突破が決まるという状況は、立場的には優位であってもメンタル的には難しい。指揮官は「勝ちに行く」と選手たちを送り出したが、勝利をより欲しているのはサウジアラビアのほうであり、なりふり構わぬ彼らの攻勢が立ち上がりの日本を苦しめた。
ハイプレッシャーをかけてくる相手に対し、日本はなかなかボールを前に運べない。両SBが積極的に攻め上がり、攻撃的MFと絡んで仕掛けてくるため、水野、本田圭の両サイドは1対2の状況で対応せねばならなかった。特長であるサイドアタックも繰り出せず、攻守においてチグハグ感が否めなかった。
そして8分、この日最大の危機が日本に訪れる。右サイドを切り崩され、決定的なシュートを見舞われる。この一撃は西川が弾いたものの、そこに詰めたのは、7番のアルゴワイニム。もはや、押し込むだけ――。誰もが失点を覚悟したその時、ゴールの前に立ちはだかったのが青山敏だった。
「なんであそこにいたか分からないです。アイツが僕に当ててくれただけ。もう、諦めていましたから」と、殊勲の男は謙遜するが、GK不在のゴールは、青山敏の奇跡的とも言えるビッグプレーによって守り抜かれたのだ。
その後、しばらくは押し込まれる時間帯が続いたが、25分を過ぎたあたりから落ち着きを取り戻し、逆に反攻に打って出る時間も増え始めた。
サウジアラビアのペースが停滞したこともあっただろう。だが、好転ポイントは前線の3人の守備時のポジショニングにあった。攻撃時には李と岡崎の2トップ、トップ下に柏木という構図が、守りの際には李が1トップ、岡崎、柏木はシャドー気味にワイドに位置した。
CBに対しては李が付き、SBにボールが入った時には岡崎と柏木が、プレスをかけに行く。役割分担がハッキリしたことで、日本を悩ませていたSBの攻撃参加を打ち消していった。
後半の流れは、完全に日本のものだった。50分に岡崎が決定的シュートを放つと、その後も李、細貝らがゴール前に迫っていく。それでもなかなかゴールは生まれず、相変わらずの決定力不足を露呈した。
だが、これまでの日本の戦いを支えてきた守りもまた、相変わらずの安定感だった。ボールの出所をしっかり抑え、相手FWに仕事の機会さえ与えない。それはサウジアラビアが攻撃の枚数を増やしても揺るがなかった。
「向こうが3トップにしてきたので、本田圭を下げずに抑え気味にさせたが、そういうことも、こちらが言う前に選手側で対応できていた」と反町監督は振り返ったが、これまで取り組んできた臨機応変な対応が、この大一番で自発的に発揮された。
そして終盤のパワープレーも青山直がことごとくはね返す。
アウェーでのカタール戦では意思統一の欠如から、ロスタイムに失点を喫したが、「同じ過ちをしないというか、選手全員が守り切るというイメージを統一できていたと思う」(青山直)と、ドーハの教訓を活かし、後半はシュートを1本も打たせず、最後まで落ち着いて守り抜いた。
勝ちに行くというプランは達成できなかったが、突破の条件を満たすドローという結果を、逞しく手に入れたのだった。
「非常に苦しい予選でした。でも、北京に行けます!」
反町監督の声は、明らかに上ずっていた。それは、計り知れない重圧から解放された者の抑えきれない感情の昂ぶりだった。そして普段はクールに振舞っている分だけ、そのギャップに安堵の大きさが際立った。
覇気がないと言われた。試合内容に不満が起きた。監督更迭論も浮上した。振り返れば、その戦いの歩みは心もとないものだったかもしれない。しかし、そうした苦難の道は選手たちを、どこまでも逞しくしたことだろう。
感情を爆発させ、歓喜に沸く彼らから、未来への希望の光がわずかに放たれた。
(週刊サッカーダイジェスト2007年12月11日号)