2004アテネ五輪――猛烈な積極守備から攻撃へ
2004年3月18日@国立競技場(東京)
○3-0 UAE
にわかに勢いづいたバーレーンの躍進を受け、U-23日本代表は同勝点のまま、最終決戦へ臨む状況に持ち込まれていた。
バーレーンとの得失点差は4あるものの、「国立に落ちてる」(山本監督)はずのアテネ行きのチケットを拾うには、目の前の敵へなるべく多くのゴールを食らわせて倒さねばならない。
しかし、この最終決戦の重圧に吹っ切れた彼らは、初めて埋まった国立の大観衆の目に、90分を通じて自らの実力を鮮烈に焼き付けていった。
平山の後方に田中と大久保を並べた今大会初の3トップが序盤から威力を発揮する。スピードに長けたふたりは、一方が平山の近くでボールを受ければ、もう一方は徹底して左右のスピースへ突進し、次々とサイドアタックを成功させる。
さらにここへ、ウイングバックのシンプルなパス捌きとCBのオーバーラップが加わるから、ここまでの日本が見せることができなかった近距離の連係プレーも冴え渡る。
決定的なシーンこそ生まれないものの、相手のファウルを誘うドリブルを含め、日本のプレーには気迫が漲っていた。
スタンドが揺れたのは12分。田中が突っかけて得たFKから、日本のセットプレーの効力を飛躍的に高めていた阿部のキックに、那須が飛び込んでピタリと合わせた。そして、早い時間帯のゴールをキッカケに、日本の攻勢はさらに加速する。
ここで際立った活躍を見せたのが、今大会、フィールドプレーヤーで唯一の全試合フル出場を果たした今野だ。
前線からの徹底したチェイスでコースが限定されているとはいえ、常にボールを取れると確信しているかのような鋭い寄せや、実際にことごとく奪ってしまう球際の強さには驚くほかない。
しかも、奪うや否やトップに預けて、すぐさま前線に飛び出していくのだから頼もしい。25分、西が丘からバーレーン先制の報が記者席へ届くも、今野らが展開する猛烈に攻撃的な守備が、焦りを鎮めてくれる。
そして41分には、再び阿部のプレースキックから、今度は大久保が2点目を叩き込む。
後半早々にも大久保の1ゴールを追加したU-23日本代表は、前線からアグレッシブな守備を貫き通し、終始UAEを圧倒。57分にはエース、マタルが一発退場となり、試合が決す。
過密日程や腸炎、怪我。チームが乗り越えるべき障害は、対峙する敵ばかりではなかった。しかし、この「人生の懸かった試合」(茂庭)で、彼らは自分たちの力を出し切った。
(週刊サッカーダイジェスト2004年4月6日号)
○3-0 UAE
にわかに勢いづいたバーレーンの躍進を受け、U-23日本代表は同勝点のまま、最終決戦へ臨む状況に持ち込まれていた。
バーレーンとの得失点差は4あるものの、「国立に落ちてる」(山本監督)はずのアテネ行きのチケットを拾うには、目の前の敵へなるべく多くのゴールを食らわせて倒さねばならない。
しかし、この最終決戦の重圧に吹っ切れた彼らは、初めて埋まった国立の大観衆の目に、90分を通じて自らの実力を鮮烈に焼き付けていった。
平山の後方に田中と大久保を並べた今大会初の3トップが序盤から威力を発揮する。スピードに長けたふたりは、一方が平山の近くでボールを受ければ、もう一方は徹底して左右のスピースへ突進し、次々とサイドアタックを成功させる。
さらにここへ、ウイングバックのシンプルなパス捌きとCBのオーバーラップが加わるから、ここまでの日本が見せることができなかった近距離の連係プレーも冴え渡る。
決定的なシーンこそ生まれないものの、相手のファウルを誘うドリブルを含め、日本のプレーには気迫が漲っていた。
スタンドが揺れたのは12分。田中が突っかけて得たFKから、日本のセットプレーの効力を飛躍的に高めていた阿部のキックに、那須が飛び込んでピタリと合わせた。そして、早い時間帯のゴールをキッカケに、日本の攻勢はさらに加速する。
ここで際立った活躍を見せたのが、今大会、フィールドプレーヤーで唯一の全試合フル出場を果たした今野だ。
前線からの徹底したチェイスでコースが限定されているとはいえ、常にボールを取れると確信しているかのような鋭い寄せや、実際にことごとく奪ってしまう球際の強さには驚くほかない。
しかも、奪うや否やトップに預けて、すぐさま前線に飛び出していくのだから頼もしい。25分、西が丘からバーレーン先制の報が記者席へ届くも、今野らが展開する猛烈に攻撃的な守備が、焦りを鎮めてくれる。
そして41分には、再び阿部のプレースキックから、今度は大久保が2点目を叩き込む。
後半早々にも大久保の1ゴールを追加したU-23日本代表は、前線からアグレッシブな守備を貫き通し、終始UAEを圧倒。57分にはエース、マタルが一発退場となり、試合が決す。
過密日程や腸炎、怪我。チームが乗り越えるべき障害は、対峙する敵ばかりではなかった。しかし、この「人生の懸かった試合」(茂庭)で、彼らは自分たちの力を出し切った。
(週刊サッカーダイジェスト2004年4月6日号)