500試合出場に不可欠なものとは――「そのどれが欠けても、今の僕はなかった」(遠藤)。
2001年、G大阪移籍後の足跡は、特筆せずとも知られたとおりだ。遠藤は、日本代表として三度のワールドカップを経験し、国際Aマッチの最多出場(現在152試合)を更新しながら、チームでも揺るぎない地位を築き上げた。
これまで出場したJ1・500試合のうち、大方で先発しているのがなによりの証拠。さらに言うなれば、Jリーグと並行してAFCチャンピオンズリーグ等でも存在感を示し、アジアでもその名を轟かせながら、自らの力で『遠藤保仁』の価値を高め続けてきた。
その裏でどんな戦いがあったのか。本人は「特別なことはなにもしていない。ただ、当たり前のことを、当たり前のようにやってきただけ」とサラリと振り返ったが、一方で仲間や支えてくれた人たちへの感謝の想いを口にする。
「プロとして自分を磨くこと、巧くなりたいという想いで変化を求めることは努力ではなく、プロとして当たり前のこと。ただ、それをキャリアとして積み上げていくうえで、仲間の存在は大きかったと思う。サッカーはひとりではできない。自分の良さを引き出してくれる仲間がいて、そのプレーを監督に認められる。だから試合に使ってもらえる。結果を残すためのチャンスをもらえる」
「あと、大きな怪我をしなかったのも大きかった。病気で戦列を離れた時期はあったけど、プレーに支障をきたす怪我はなかったから。もともと痛みに強いこともあり、少々痛くても試合でプレーすれば、なぜか治ることも多かったけど、それを信じてくれる監督、スタッフがいなければ、試合に出続けることはできないからね。そう考えると、やはり僕に関わってくれたすべての仲間、スタッフ、家族がいたからこその“500試合”だったんだと思う。そのどれが欠けても、今の僕はなかった」