【浦和】“今年最も走った”主将の阿部勇樹が関根貴大ら若手に背中で伝えた想い。「プロになる前からの仲間」という引退宣言した鈴木啓太と交わした約束とは?
カテゴリ:Jリーグ
2015年11月25日
引退を発表した鈴木のセレモニー後、ロッカールームで、阿部、鈴木、那須の3人が誓ったこととは――。
阿部は鈴木の存在について、次のように語っていた。
「プロになる前から戦ってきた仲間。リーグ戦最後のホーム戦で勝てたけど、まだまだ試合はある。また、一緒に喜びたい」
【J1 PHOTOハイライト】浦和 5-2 神戸&鈴木啓太 引退セレモニー
浦和の屋台骨となってふたりで支えてきた。アテネ五輪を目指したU-21~23代表でも、A代表でも、時間をともにしてきた。そんな“パートナー”との一番の思い出について訊かれると少し考えて、「ACLのチャンピオンになった年(2007年)。でも、けっこうそれから時間が経っている。新たな思い出を作りたい。そうして啓太を送り出したい」と語っていた。
試合後の鈴木を送り出すセレモニーでは、81年生まれの同級生である阿部と那須が花束のプレゼンターを務めた。鈴木としては、「ふたりが揃って、こっちに向かって歩いて来るのは、なんだか不思議な光景だった。手でもつないで来てくれれば面白かったのに(笑)」と思ったそうだ。
同い年の3人が、センターサークルでひとつになる。涙はなく、笑い合っている。気心知れた仲。実に絵になる光景だった。
そして花束を渡す際、阿部から鈴木に「まだまだ。次があるから」と声を掛けたという。
チャンピオンシップと天皇杯の準々決勝が控えている。ある意味、浦和にとっては、ここからが本番。本当のお別れは、今ではないという想いが込められていたのだろう。
そして、セレモニー後のロッカールームでのことだ。
阿部、鈴木、那須の3人が、再び顔を揃えた。プロとして15年以上、それぞれまったく違った道を、時にチームメイトとして、時に敵味方として、そして時にライバルとして、切磋琢磨し合いながら歩みながら、ペトロヴィッチ監督の下で邂逅し、浦和で一時代を築いてきた。
「“谷間の世代”なんて言われたこともあったな……。最高の思い出を作りたいね」
そう、3人は誓った。約束をかわした、と言っていいだろう。
「プロになる前から戦ってきた仲間。リーグ戦最後のホーム戦で勝てたけど、まだまだ試合はある。また、一緒に喜びたい」
【J1 PHOTOハイライト】浦和 5-2 神戸&鈴木啓太 引退セレモニー
浦和の屋台骨となってふたりで支えてきた。アテネ五輪を目指したU-21~23代表でも、A代表でも、時間をともにしてきた。そんな“パートナー”との一番の思い出について訊かれると少し考えて、「ACLのチャンピオンになった年(2007年)。でも、けっこうそれから時間が経っている。新たな思い出を作りたい。そうして啓太を送り出したい」と語っていた。
試合後の鈴木を送り出すセレモニーでは、81年生まれの同級生である阿部と那須が花束のプレゼンターを務めた。鈴木としては、「ふたりが揃って、こっちに向かって歩いて来るのは、なんだか不思議な光景だった。手でもつないで来てくれれば面白かったのに(笑)」と思ったそうだ。
同い年の3人が、センターサークルでひとつになる。涙はなく、笑い合っている。気心知れた仲。実に絵になる光景だった。
そして花束を渡す際、阿部から鈴木に「まだまだ。次があるから」と声を掛けたという。
チャンピオンシップと天皇杯の準々決勝が控えている。ある意味、浦和にとっては、ここからが本番。本当のお別れは、今ではないという想いが込められていたのだろう。
そして、セレモニー後のロッカールームでのことだ。
阿部、鈴木、那須の3人が、再び顔を揃えた。プロとして15年以上、それぞれまったく違った道を、時にチームメイトとして、時に敵味方として、そして時にライバルとして、切磋琢磨し合いながら歩みながら、ペトロヴィッチ監督の下で邂逅し、浦和で一時代を築いてきた。
「“谷間の世代”なんて言われたこともあったな……。最高の思い出を作りたいね」
そう、3人は誓った。約束をかわした、と言っていいだろう。