ガッリアーニ副会長は来年1月の退団を却下した。

ミランの強化を仕切るガッリアーニ副会長は、本田の1月の退団を表向きは否定する。ただ、ミランのメルカートは計画性が皆無に近いだけに、状況が急転する可能性は否定できない。(C)Getty Images
ここ1か月のこうした状況を考えれば、移籍市場が開く来年1月に本田がミランを退団するという予想が出回るのは当然だ。
しかし、ミハイロビッチが会見で苦言を呈した数時間後、『ミラン・チャンネル』で今度はアドリアーノ・ガッリアーニ副会長がこう語っている。
「本田自身から移籍を願い出たことは一度もない」
問題が大きくなることを懸念して、火消しに回った言葉だろうか? 真実はその中間にあるのではないか。
すでに報道されている通り、本田がガッリアーニと会談したのは本当だ。退団を直訴しないまでも、自分の立場をハッキリさせたかったのだろう。
しかし、ガッリアーニは「君に対するチームの信頼は変わっていない」と答えたという。
そして、「今のところ退団させるつもりはない」、「移籍するとしたら次の1月はありえない、早くても来年の夏だ」とも語ったようだ……。
すべての話を総合すると、来年の夏の移籍は固そうだ。本田にはもうしばらく厳しい状況が続くかもしれない。
もちろん、サッカーの世界というものは何が起こるかわからない。開幕時はインテルでほぼ戦力外だった長友佑都は、いまやレギュラーポジションを確保しつつある。そんな例は枚挙にいとまがない。
ただ、今回の本田のケースはかなり複雑だ。状況が180度変わるというのは難しいかもしれない。
そもそも実力でポジションを失った本田は、例の問題発言によってさらにチーム内での立場を悪化させた。
あの発言が本当に“取り返しのつかない”ものだったのかどうか。その答が出るには、今しばらくの時間が必要だろう。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。
しかし、ミハイロビッチが会見で苦言を呈した数時間後、『ミラン・チャンネル』で今度はアドリアーノ・ガッリアーニ副会長がこう語っている。
「本田自身から移籍を願い出たことは一度もない」
問題が大きくなることを懸念して、火消しに回った言葉だろうか? 真実はその中間にあるのではないか。
すでに報道されている通り、本田がガッリアーニと会談したのは本当だ。退団を直訴しないまでも、自分の立場をハッキリさせたかったのだろう。
しかし、ガッリアーニは「君に対するチームの信頼は変わっていない」と答えたという。
そして、「今のところ退団させるつもりはない」、「移籍するとしたら次の1月はありえない、早くても来年の夏だ」とも語ったようだ……。
すべての話を総合すると、来年の夏の移籍は固そうだ。本田にはもうしばらく厳しい状況が続くかもしれない。
もちろん、サッカーの世界というものは何が起こるかわからない。開幕時はインテルでほぼ戦力外だった長友佑都は、いまやレギュラーポジションを確保しつつある。そんな例は枚挙にいとまがない。
ただ、今回の本田のケースはかなり複雑だ。状況が180度変わるというのは難しいかもしれない。
そもそも実力でポジションを失った本田は、例の問題発言によってさらにチーム内での立場を悪化させた。
あの発言が本当に“取り返しのつかない”ものだったのかどうか。その答が出るには、今しばらくの時間が必要だろう。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。