Jリーグ誕生を促した雨中の中国戦――晩年に遺された指揮官の舞台裏証言録【名勝負の後日談】

カテゴリ:連載・コラム

加部 究

2020年06月01日

フジタ工業では圧倒的な攻撃力を武器にリーグ、天皇杯を制覇。しかし日本代表では――

ソウル五輪予選の日本代表を率いた石井監督。フジタで見せたサッカーとは打って変わった守備的なサッカーで五輪出場目前にまで迫ったが…。写真:サッカーダイジェスト

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 メキシコ・ワールドカップ予選を最後に森孝慈が日本代表監督を退くと、JFAが後任に指名したのはフジタ工業を2度の二冠に導いた石井義信だった。石井はJSL(日本サッカーリーグ)で開幕から4連覇を飾る東洋工業を支えた選手だが、一般採用で入社し頼み込んでサッカー部に入った変わり種だった。最初はチームからサイズが大きめのスパイクを手渡され、日本代表の小沢通宏の練習に付き合っているうちに守備力が向上しレギュラーの座を掴み取ったそうである。

「私を物凄く上手くすれば米本拓司(現名古屋)みたいな選手ですかね」
 晩年はFC東京のアドバイザーを務めたので、所属クラブの選手に例えて語ってくれた。

 やがて指導者に転身すると、フジタ工業ではアデマール・マリーニョ、カルバリオ、古前田充らを擁し圧倒的な攻撃力を武器にリーグや天皇杯を制覇。だが日本代表監督のオファーは青天の霹靂だったという。

「それまで代表監督と言えば、選手として優れた経歴を持つ統率力のあるタイプばかりでしたからね。でも私が選ばれたということは、JFA強化部も、もっと指導実績を評価しても良いのでは、と考え方を変えたのだと思います」

 オファーを受諾した石井は、当然のように宣言した。
「攻撃的なチームを作ってアジアの壁を破りたい」

 しかし1986年秋のアジア大会を経て一気に方向転換を強いられることになる。2勝2敗でグループリーグ敗退に終わるのだが、イラン、クウェートの中東勢には「質の違い」を見せつけられた。

「アジアの強豪の中でも、自由にプレーが出来ない。まだ日本は自分たちのサッカーが出来るほど能力は高くない」

 厳しい現実に直面し、早速選手たちには「これからは専守防衛でいく」と宣言する。強力な2トップを擁す中国を想定し、3バックへの変更も決めた。
「最終ラインで一人余らせるというより、守備で余裕を作りたかった。でも当時の私にとって3バックは未知のものでした。そこでマツダの監督を務めていたハンス・オフト(後の日本代表監督)に、どういう概念でどんなシステムなのかを聞きに行きました」
 

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