短期集中連載『名勝負の後日談』vol.3 82W杯イタリアvsブラジル|黄金のカルテット擁するセレソンにアズーリはどう対抗したのか?
歴史に残る名勝負、名シーンには興味深い後日談がある。舞台裏を知る関係者たちが明かしたあの日のエピソード、その後の顛末に迫る。(文:加部 究/スポーツライター)
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1982年7月5日、スペイン・ワールドカップで絶対の本命と見られたブラジルは、イタリアの挑戦を受けた。そして開始4分、呆気なく均衡は破れる。勝利が必要なイタリアに先制点をもたらしたのは、八百長疑惑による2年間の出場停止が解けたばかりで、ここまで4試合無得点に終わっていたパオロ・ロッシだった。
「後にも先にもこれ以上に価値のあるゴールはなかった」とロッシは語った。
アズーリ(イタリア代表の愛称)を率いるエンツォ・ベアルゾット監督は感慨も一入だった。
「私はロッシを実の息子のように思っていた。21歳の彼を代表に抜擢したのも私で、八百長疑惑にも関与していないと信じていた。だから復帰したロッシに再びチャンスを与えるのは当然だった」
だが挑戦者として、まだ手放しで喜んだわけではなかった。
「負けるはずがないと信じる相手に先取点を狙うのは当然だ。もっともこの時点で私が言えるのは、考え得る最高のシナリオだったということだ。追いかける状況になればブラジルはさらに攻めて来る。そうなれば我々は、ますます戦いやすくなる」
ただしブラジルにも動揺はなかった。例えば最後尾で守備を統率するオスカーは「ラッキーなだけだ」と意に介していなかった。
「ロッシを警戒する必要はない。それより(ジャンカルロ)アントニオーニ、(ブルーノ)コンティ、(フランチェスコ)グラッツィアーニに注意が必要だ、と試合前に確認していた。イタリアはカウンターに頼るだけなので、こちらは両サイドバックが同時に攻め上がっても抑えきる自信はあった」
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1982年7月5日、スペイン・ワールドカップで絶対の本命と見られたブラジルは、イタリアの挑戦を受けた。そして開始4分、呆気なく均衡は破れる。勝利が必要なイタリアに先制点をもたらしたのは、八百長疑惑による2年間の出場停止が解けたばかりで、ここまで4試合無得点に終わっていたパオロ・ロッシだった。
「後にも先にもこれ以上に価値のあるゴールはなかった」とロッシは語った。
アズーリ(イタリア代表の愛称)を率いるエンツォ・ベアルゾット監督は感慨も一入だった。
「私はロッシを実の息子のように思っていた。21歳の彼を代表に抜擢したのも私で、八百長疑惑にも関与していないと信じていた。だから復帰したロッシに再びチャンスを与えるのは当然だった」
だが挑戦者として、まだ手放しで喜んだわけではなかった。
「負けるはずがないと信じる相手に先取点を狙うのは当然だ。もっともこの時点で私が言えるのは、考え得る最高のシナリオだったということだ。追いかける状況になればブラジルはさらに攻めて来る。そうなれば我々は、ますます戦いやすくなる」
ただしブラジルにも動揺はなかった。例えば最後尾で守備を統率するオスカーは「ラッキーなだけだ」と意に介していなかった。
「ロッシを警戒する必要はない。それより(ジャンカルロ)アントニオーニ、(ブルーノ)コンティ、(フランチェスコ)グラッツィアーニに注意が必要だ、と試合前に確認していた。イタリアはカウンターに頼るだけなので、こちらは両サイドバックが同時に攻め上がっても抑えきる自信はあった」
ブラジルの強さが鳴り響くようになったのは、1年前の欧州遠征からだった。フランス、イングランド、西ドイツを相手にアウェーで3連勝を飾り、地域予選から本大会まで全勝で優勝を飾った1970年のチームとの比較が始まるのだ。1966年にイングランド代表主将としてワールドカップを掲げたボビー・ムーアは絶賛した。
「このブラジルは、ペレが引退して以降では最高のチームだ」
しかしそんなブラジルにもふたつのアキレス腱があった。GKと9番(ストライカー)である。規律を重んじるテレ・サンターナ監督は、前2大会でレギュラーとしてプレーしてきた攻撃的性格のレオンを招集せず、両大会で控えだったバウジール・ペレスを起用したが、開幕戦のファンブルに始まり不安定なパフォーマンスが続いた。また9番も、16歳でプロデビューを果たし「神童」と騒がれたレイナウド、20歳で急成長中のカレッカ、さらにはフラメンゴでジーコとのコンビが冴えたヌネスが相次いで故障。サンパウロFCでゴールを量産していた長身のセルジーニョを抜擢するが、MF陣の才能と比べてしまえば、あまりに平凡だった。もし3人の候補のうちひとりでも健在なら歴史は変わっていたのかもしれない。