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アマチュアではW杯予選を勝ち抜けない…プロ化を促した85年日韓戦、敗北の真相【名勝負の後日談】

カテゴリ:連載・コラム

加部 究

2020年05月25日

欧州挑戦は日本代表への近道ではなく、むしろ訣別に近い意味を持っていた

聖地・国立で行なわれた韓国戦。日本は初のW杯出場を懸けて臨んだ。中央で相手選手と握手するのは加藤久キャプテン。写真:サッカーダイジェスト

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 歴史に残る名勝負、名シーンには興味深い後日談がある。舞台裏を知る関係者たちが明かしたあの日のエピソード、その後の顛末に迫る。(文:加部 究/スポーツライター)

――◆――◆――

 国立競技場の光景が、約7か月前とは一変していた。当時満員を意味する6万2000人の大観衆がスタンドで日の丸を振っている。それはアマチュア時代の日本代表戦では考えられない出来事だった。

「頑張れば、こんなに応援してもらえるんだ」

 10番を背負う木村和司は、スタンドを見上げて感慨に耽る。筋金入りの代表好きだった都並敏史は極度の緊張に襲われ、ヘッドコーチの岡村新太郎が並んで観衆へ向けて手を振りながら歩き、ようやく落ち着きを取り戻したそうだ。

 7か月前の国立は、まるでアウェー状態だった。翌1986年にメキシコで開催されるワールドカップの1次予選で、日本はグループ内の最大のライバル北朝鮮を迎えた。だが五輪と合わせて地域予選での敗退が続く日本代表戦への関心は薄く、寂しいスタンドでは「イギョラ!」の掛け声や太鼓の音ばかりが鳴り響いた。財政難のJFA(日本協会)にとって「大量にチケットを購入してくれる在日朝鮮の方々はありがたい存在だった」というが、ピッチで戦う選手たちはホームの利を実感できず「あまりに悲しかった」(木村)と述懐している。

 当時国内のイベントで集客が望めるのは、欧州と南米の王者同士がクラブ世界一を賭けて戦う「トヨタカップ」か、全国高校選手権に限られ、日本代表戦のチケットの売れ行きは来日する対戦相手次第だった。日本サッカーの低迷が長引く間に、ファンの目は海外へと向けられた。すでに日本人でも奥寺康彦や尾崎加寿夫がドイツでプロ契約を果たしていたが、アマチュアの祭典だった五輪を最大の目標に掲げるJFAは、日本代表に彼らを招集しようとしなかった。特に日本代表を辞退してアルミニア・ビーレフェルトへの練習参加を決行した尾崎の例を見ても、欧州への挑戦は現在のように日本代表への近道ではなく、むしろ訣別に近い意味を持っていた時代だった。

 それでも1次リーグで北朝鮮を競り落とした日本は、ワールドカップ出場権を賭けた韓国との決戦まで勝ち上がった。そうなると五輪を遥かに超越するワールドカップへの憧憬を強めていたファンは、夢の舞台への扉を開ける瞬間を見届けようと国立のゲートへと吸い寄せられていった。
 
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