「向上心と恩返しの気持ちが両軸となって自分のプレーする場所も変わっていきました」
「プレーヤーとして高みを目指していたのはポーランドでプレーしていた頃くらいまででした」
ウズベキスタンで2年間プレーした後、ポーランドのクラブに移籍した際、新たな気持ちが沸いてきた。
「ビザが降りるまでに手間取り、開幕戦から数試合出られない期間がありまして。その間に“なぜサッカーをしているか”一人でじっくり立ち返る時間があったんです。サッカーを始めた当初、ただただ楽しかった。その後Jリーグができて憧れることになりますが、それは後付けの目標であって。ではJリーグができる以前の原点となる目標はなんだったのか。楽しかった理由は何なのか。それは“もっと上手くなりたい”という純粋な向上心だったんです」
「サッカーがもっと上手くなりたい」という不変の向上心を原動力として、次第に「サッカーをもっと深く知りたい」「サッカーをもっと見たい、考えたい」という好奇心が連鎖して生まれていたことに気づかされた。いつしか、選手目線だけでなく監督目線でもサッカーを考えるようになっていたという。
「ずっと衰えないサッカーに対する向上心と、そのサッカーに恩返しをしたいという気持ち。これが両軸となって自分のプレーする場所も変わっていきました。それまでは自分のプレーに対する向上心の割合が高かったのが、サッカーを取り巻く環境を含めて幅広く、よりサッカー全体に対しての知見を深めたいという思いに変わっていったんです。そしてプレーはもちろん指導、経営、日本、海外…まだまだ微力ですけど、自分がより恩恵を受けたことに対して何か自分が力になれることがあればいいな、と思って今は活動しています」
ウズベキスタンで2年間プレーした後、ポーランドのクラブに移籍した際、新たな気持ちが沸いてきた。
「ビザが降りるまでに手間取り、開幕戦から数試合出られない期間がありまして。その間に“なぜサッカーをしているか”一人でじっくり立ち返る時間があったんです。サッカーを始めた当初、ただただ楽しかった。その後Jリーグができて憧れることになりますが、それは後付けの目標であって。ではJリーグができる以前の原点となる目標はなんだったのか。楽しかった理由は何なのか。それは“もっと上手くなりたい”という純粋な向上心だったんです」
「サッカーがもっと上手くなりたい」という不変の向上心を原動力として、次第に「サッカーをもっと深く知りたい」「サッカーをもっと見たい、考えたい」という好奇心が連鎖して生まれていたことに気づかされた。いつしか、選手目線だけでなく監督目線でもサッカーを考えるようになっていたという。
「ずっと衰えないサッカーに対する向上心と、そのサッカーに恩返しをしたいという気持ち。これが両軸となって自分のプレーする場所も変わっていきました。それまでは自分のプレーに対する向上心の割合が高かったのが、サッカーを取り巻く環境を含めて幅広く、よりサッカー全体に対しての知見を深めたいという思いに変わっていったんです。そしてプレーはもちろん指導、経営、日本、海外…まだまだ微力ですけど、自分がより恩恵を受けたことに対して何か自分が力になれることがあればいいな、と思って今は活動しています」