海外でのプレー経験がもたらした価値観の変化
漫画『キャプテン翼』の原作者、高橋陽一氏が代表を務めるリアル“南葛SC”の東京都リーグ1部での戦いは、9月からいよいよ正念場を迎える。現在は5勝3敗3分の暫定6位。関東リーグ昇格を争う関東社会人サッカー大会へは上位3チームが進める。勝点差を考えれば射程圏内。さらにここからは上位チームとの直接対決が控えている。
この先の戦い方を占ううえで、キーマンと言える人物が背番号14の柴村直弥だ。海外でのプレー経験も豊富で、日本でもJリーグから社会人リーグと幅広いプレー経験の持ち主。南葛SCへは昨シーズンからチームに加わり、今シーズンは選手兼コーチという重責も担う。そんな彼が見る南葛SCとは――。
個人としての柴村を紐解くことで、南葛SCというクラブの像も見えてきた。その特集を3回にわたりお届けする。第1回は、その一種独特な価値観について。そこに、なぜ今、南葛SCにいるかの理由があった。
――◆――◆――
これまでプレーした国は日本、シンガポール、ラトビア、ウズベキスタン、ポーランド。日本でプレーしたカテゴリはJ1、J2、JFL、東海社会人サッカーリーグ1部、東京都社会人リーグ1部。現役プレーヤーでありながら、手掛けている仕事も多岐にわたる。国内外での指導、試合解説、講演、執筆…アパレルブランドのアンバサダーも務め、チャリティTシャツのプロデュースをしたこともある。
9月で37歳になろうという柴村直弥の経歴を調べると、様々な言葉が並ぶ。海外でプレーしている頃から複数のメディアに取り上げられ、ウズベキスタンでは国籍を変えての代表入りを打診されたこともある。
一見、バラバラに見える経歴と肩書。だが、話を聞いていると、これらがある信念によって結びついていることが分かる。
キーワードは「恩返し」と「向上心」だ。
「小学生の時にJリーグが始まってから、夢はJリーガーになって活躍して日本代表になって海外へ行く、ということでした。でもJリーガーにはなったもののイメージ通りにはいかず、28歳の時に自作のプロフィールとDVDで売り込んでラトビアのクラブ(FKヴェンツピルス)に移籍しました。そこでリーグ、カップ戦に優勝したことでヨーロッパでのプロフィールができて。それで次の年からはオファーがもらえるようになりました」
翌年にウズベキスタンの名門・FCパフタコールへ。そしてFKブラハへと移籍し2年間をウズベキスタンで過ごすことになるのだが――。
「一度知り合いのつてで地方のウズベキスタン人の家族に会いに行く機会がありまして。その家族の子どもとサンダルで何時間もボールを蹴ったことがあるんです。その時、サッカーをしたいけどプレーできる環境がないという話を聞きました。アカデミーもなければ指導者もいない。ブラジルみたいにストリートサッカーがあるわけでもない。その話を聞いた時、自分がいかに恵まれているかを痛感したんです。日本でも指導者に『サッカーができる環境に感謝しなさい』と言われてきましたが、本質的には分かっていなかった。現実を目の当たりにしたことで、サッカーができる環境のありがたさに本当に気づかされたんです」
日本のパスポートを持っているだけで入国審査も難なく通過する。海外だからこそ感じる日本人としてのありがたさ。先人の方々が作り上げた環境や信頼があるからこそ、自分は自由にサッカーができている…。そういった現実をことあるごとに経験するうち、いつしか日本やサッカーに「恩返しがしたい」気持ちが強くなっていった。
この先の戦い方を占ううえで、キーマンと言える人物が背番号14の柴村直弥だ。海外でのプレー経験も豊富で、日本でもJリーグから社会人リーグと幅広いプレー経験の持ち主。南葛SCへは昨シーズンからチームに加わり、今シーズンは選手兼コーチという重責も担う。そんな彼が見る南葛SCとは――。
個人としての柴村を紐解くことで、南葛SCというクラブの像も見えてきた。その特集を3回にわたりお届けする。第1回は、その一種独特な価値観について。そこに、なぜ今、南葛SCにいるかの理由があった。
――◆――◆――
これまでプレーした国は日本、シンガポール、ラトビア、ウズベキスタン、ポーランド。日本でプレーしたカテゴリはJ1、J2、JFL、東海社会人サッカーリーグ1部、東京都社会人リーグ1部。現役プレーヤーでありながら、手掛けている仕事も多岐にわたる。国内外での指導、試合解説、講演、執筆…アパレルブランドのアンバサダーも務め、チャリティTシャツのプロデュースをしたこともある。
9月で37歳になろうという柴村直弥の経歴を調べると、様々な言葉が並ぶ。海外でプレーしている頃から複数のメディアに取り上げられ、ウズベキスタンでは国籍を変えての代表入りを打診されたこともある。
一見、バラバラに見える経歴と肩書。だが、話を聞いていると、これらがある信念によって結びついていることが分かる。
キーワードは「恩返し」と「向上心」だ。
「小学生の時にJリーグが始まってから、夢はJリーガーになって活躍して日本代表になって海外へ行く、ということでした。でもJリーガーにはなったもののイメージ通りにはいかず、28歳の時に自作のプロフィールとDVDで売り込んでラトビアのクラブ(FKヴェンツピルス)に移籍しました。そこでリーグ、カップ戦に優勝したことでヨーロッパでのプロフィールができて。それで次の年からはオファーがもらえるようになりました」
翌年にウズベキスタンの名門・FCパフタコールへ。そしてFKブラハへと移籍し2年間をウズベキスタンで過ごすことになるのだが――。
「一度知り合いのつてで地方のウズベキスタン人の家族に会いに行く機会がありまして。その家族の子どもとサンダルで何時間もボールを蹴ったことがあるんです。その時、サッカーをしたいけどプレーできる環境がないという話を聞きました。アカデミーもなければ指導者もいない。ブラジルみたいにストリートサッカーがあるわけでもない。その話を聞いた時、自分がいかに恵まれているかを痛感したんです。日本でも指導者に『サッカーができる環境に感謝しなさい』と言われてきましたが、本質的には分かっていなかった。現実を目の当たりにしたことで、サッカーができる環境のありがたさに本当に気づかされたんです」
日本のパスポートを持っているだけで入国審査も難なく通過する。海外だからこそ感じる日本人としてのありがたさ。先人の方々が作り上げた環境や信頼があるからこそ、自分は自由にサッカーができている…。そういった現実をことあるごとに経験するうち、いつしか日本やサッカーに「恩返しがしたい」気持ちが強くなっていった。