当時34歳のドログバとしては、第一線を退き、サッカー新興国の発展に残りの選手人生を捧げる計画だったのかもしれないが、間もなく給料未払い問題が浮上すると、13年1月には同クラブを退団し、欧州に舞い戻った。
新天地に選んだトルコのガラタサライではリーグ&カップ戦の優勝にも貢献し、14年夏まで在籍。その後、チェルシーに復帰し、ここでもリーグ制覇の喜びを味わうも、1シーズンで思い出のチームを去り、15年にMLSのモントリオール・インパクト入りを発表した。
クラブレベルでは、チェルシーで選手としてのピークを迎え、ここで多くの勲章を手にしたドログバ。そんな彼にはもうひとつ、コートジボワール代表という誇りに満ちた肩書があった。
前述した通り、コートジボワールで暮らした年月は決して長くはなく、またフランスの市民権を得てこの国の代表入りも可能だったが、ドログバは生まれた国を愛し、迷わず「エレファンツ(コートジボワール代表の愛称)」の一員となる方を選んだ。
02年に初キャップを刻むと、06年のドイツ・ワールドカップに母国を初の本大会出場に導く。結果は1勝2分けでグループステージ敗退に終わったものの、ドログバはアルゼンチンとの初戦(1-2)でゴールを記録し、コートジボワール最初のW杯得点者となった。
ストライカーとしての才能はさることながら、非常に勤勉な性格でも国民の尊敬を集める彼は、同国の平均月収の約225倍を稼ぎ出す成功者として憧れと羨望の的でもあり、もちろん母国のサッカー界をリードする存在として大きな期待を常に寄せられていた。
重い責任を背負い、常に大きなプレッシャーを受けながらも、これに屈することなく仕事を果たしてきたドログバは、その後、10年南アフリカ大会、14年ブラジル大会と、2回のW杯でチームを牽引した。
10年大会では、開幕前の日本とのテストマッチで田中マルクス闘莉王と接触して右腕を骨折。出場が危ぶまれながらも出場を果たしたが、チームは北朝鮮には勝つも、ブラジル、ポルトガルには敗れて4年前同様、グループステージ3位に終わった。
そして14年ブラジル大会。36歳のドログバはスタメンから外れていたが、切り札として抜群の存在感を示した。グループステージ初戦の相手となった日本は、本田圭佑のゴールで先制したものの、ドログバの途中出場以降は圧倒されて逆転を許し、そこから敗退への道を進んでいった。
もっとも、コートジボワールも白星発進に成功しながら、引き分けでも勝ち抜けとなるギリシャとの最終戦でアディショナルタイムに決勝PKを決められ、3大会連続でグループステージでの帰国を余儀なくされた。そして、ドログバの代表キャリアにも、終止符が打たれたのである。
コートジボワール、そしてアフリカにおいてもサッカーの枠を超えた影響力を誇る存在であり、母国では彼の呼びかけに呼応して、内戦が即時停止されたほど。そんなドログバには、将来の大統領としての期待もかけられているが、まだ彼はプレーを止めない。
モントリオール・インパクトとの契約が満了した後、いよいよ現役引退も予想されたが、先日、名門コリンチャンス入りが報じられた。38歳の偉大なるストライカーは、本場ブラジルでも人々の注目と、尊敬を集めることになるだろう。
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