U-21欧州選手権でイタリアを3連覇に導く。
67年に35歳で引退すると、指導者の道に進む。当初はミランで恩師ロッコの片腕を務めたが、72-73シーズンに正式に監督に就任すると、1年目からコッパ・イタリアとカップウィナーズ・カップの二冠を獲得。しかしセリエAでは、最終節で格下ヴェローナに敗れ、ほぼ手中に収めていたクラブ史上10回目のスクデットを逃してしまう。「ファタル・ヴェローナ」(運命のヴェローナ)と呼ばれ、セリエAの歴史に残るこの痛恨事は、結果的にクラブ監督としてのキャリアに微妙な影を落とすことになった。
翌73-74シーズンは早々に優勝争いから脱落する不振に陥り、残り5試合を残して途中解任。その後の6年間はフォッジャ、テルナーナ、パルマと、2部や3部のクラブを渡り歩いて捲土重来を期した。
フォッジャをセリエA、パルマをセリエB昇格に導き、パルマでは若きカルロ・アンチェロッティをブレイクさせる(B昇格に大きな貢献を果たしてローマに移籍)という実績を残したものの、セリエAの指揮官に返り咲く機会はなく、クラブ監督としてのキャリアはここで実質的に幕を閉じることになる。というのも、80年にイタリア代表監督エンツォ・ベアルツォットの助監督に就任、FIGC(イタリア・サッカー連盟)の専属コーチとして新たなキャリアをスタートしたからだ。
当時は同じ監督でも、クラブと代表でキャリアパスがはっきりと分かれており、今のようにひとりの監督がその両方を行き来するケースはほとんどなかった。クラブの監督からFIGCの専属に転身したことで、チェーザレのキャリアには新たな道が開けていった。
82年スペイン・ワールドカップでは優勝の歓喜を当事者として味わった。続く86年メキシコ・ワールドカップ(イタリアは決勝トーナメント1回戦でフランスに敗退)を最後にベアルツォットが代表監督の座を退くと、チェーザレも助監督を辞してU-21代表監督に就任。その後96年まで10年間にわたってその座に留まり、92年、94年、96年と3大会連続でU-21欧州選手権に優勝するという、素晴らしい実績を残した。
その間、U-21代表で活躍した選手をリストアップすると、息子のパオロ・マルディーニに始まって、アレッサンドロ・コスタクルタ、デメトリオ・アルベルティーニ、ディノ・バッジョ、アレッサンドロ・デル・ピエロ、ファビオ・カンナバーロ、フィリッポ・インザーギ、クリスティアン・ヴィエリ、フランチェスコ・トッティ、アレッサンドロ・ネスタ、そしてジャンルイジ・ブッフォンまで、錚々たる顔ぶれが並ぶ。
つまるところ、94年アメリカ・ワールドカップ準優勝から06年ドイツ・ワールドカップ優勝までに至るイタリア代表の黄金時代を築いた世代は、ほぼ全員がチェーザレの薫陶を受けてA代表に羽ばたいていったというわけだ。
翌73-74シーズンは早々に優勝争いから脱落する不振に陥り、残り5試合を残して途中解任。その後の6年間はフォッジャ、テルナーナ、パルマと、2部や3部のクラブを渡り歩いて捲土重来を期した。
フォッジャをセリエA、パルマをセリエB昇格に導き、パルマでは若きカルロ・アンチェロッティをブレイクさせる(B昇格に大きな貢献を果たしてローマに移籍)という実績を残したものの、セリエAの指揮官に返り咲く機会はなく、クラブ監督としてのキャリアはここで実質的に幕を閉じることになる。というのも、80年にイタリア代表監督エンツォ・ベアルツォットの助監督に就任、FIGC(イタリア・サッカー連盟)の専属コーチとして新たなキャリアをスタートしたからだ。
当時は同じ監督でも、クラブと代表でキャリアパスがはっきりと分かれており、今のようにひとりの監督がその両方を行き来するケースはほとんどなかった。クラブの監督からFIGCの専属に転身したことで、チェーザレのキャリアには新たな道が開けていった。
82年スペイン・ワールドカップでは優勝の歓喜を当事者として味わった。続く86年メキシコ・ワールドカップ(イタリアは決勝トーナメント1回戦でフランスに敗退)を最後にベアルツォットが代表監督の座を退くと、チェーザレも助監督を辞してU-21代表監督に就任。その後96年まで10年間にわたってその座に留まり、92年、94年、96年と3大会連続でU-21欧州選手権に優勝するという、素晴らしい実績を残した。
その間、U-21代表で活躍した選手をリストアップすると、息子のパオロ・マルディーニに始まって、アレッサンドロ・コスタクルタ、デメトリオ・アルベルティーニ、ディノ・バッジョ、アレッサンドロ・デル・ピエロ、ファビオ・カンナバーロ、フィリッポ・インザーギ、クリスティアン・ヴィエリ、フランチェスコ・トッティ、アレッサンドロ・ネスタ、そしてジャンルイジ・ブッフォンまで、錚々たる顔ぶれが並ぶ。
つまるところ、94年アメリカ・ワールドカップ準優勝から06年ドイツ・ワールドカップ優勝までに至るイタリア代表の黄金時代を築いた世代は、ほぼ全員がチェーザレの薫陶を受けてA代表に羽ばたいていったというわけだ。