親交の深かったバルサ番記者がクライフを偲ぶ――「喜びとともに思い出される素晴らしきエピソードの数々」

カテゴリ:ワールド

ルイス・フェルナンド・ロホ

2016年03月29日

カンプ・ノウの一室でのあの光景を今もはっきりと覚えている。

ファンタジーを大事にしながら、効率性も追求し、独特の感性でそれを具現化していく。そんな彼から、新たな潮流が幾つも生まれたのは、当然のことだった。 (C) Getty Images

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 1991年は、私にとって特別な年だった。
 
 決して忘れることのできない人物に出会うことになったからだ。その男は、弱かったバルセロナの意識を変え、サッカーそのものを変え、そして私の考えを変えてくれた。
 
 ヨハン・クライフに出会ったのは、私がマドリードからバルセロナ支局に赴任した年のことだ。それからというもの、幸運にも私は、何度も彼との時間を過ごし、ゴルフに付き合ったり、インタビューを行なったりしてきた。
 
 彼の言葉は、現代の選手の口から出てくる軽い言葉や、SNSに溢れるメッセージとは違って、重い意味を持っていた。
 
 私はジャーナリストだ。対して、彼は選手であり、監督だった。互いの立場は異なる。私はクライフについて、好意的なことばかりを書いていればいいわけではない。特に私はマドリード寄りの『マルカ』という新聞に雇われている身だ。厳しいこともたくさん書いた。
 
 ある時、彼から電話がかかってきたことがある。私が書いた記事が気に入らなかったのだ。
 
 カンプ・ノウのロッカールームの隣にある一室で、私は彼と対面した。クライフの顔はほんのり赤くなっていた。彼は怒っていた。
 
「さて、ルイス」
 
 彼は切り出した。私は凍り付いた。広大なカンプ・ノウの、その一角だけ、時間が止まったみたいだった。
 
「君はこの記事を書いた。もちろん、それが君の仕事だ。そのことに関して、私は何も文句はない。ただ、受け入れられないこともある。それで、だ。一体このニュースを、君は誰から聞いたんだろう?」
 
 クライフはいつも“直球”だった。回りくどい言い方はしない。前置きも必要なければ、無駄話もない。正面から立ち向かってくる真摯さを、彼はどんな時も失わなかった。
 
「君がそれを言うか、私たちの関係を終えるか。そのどちらかにしよう」
 
 この件は、最終的に当時の編集長も介入し、なんとか収束した。
 
 あのカンプ・ノウの一室での光景を、私は今もはっきりと覚えている。何に対しても妥協せずに、恐れることなく、ストレートに立ち向かってくる、そんな彼の姿勢だ。
 
 こんなことがあった後も、私たちの関係は続いた。
 
 90年代の初め、バルセロナ市内でよく食事をした。そこで彼が語ってくれたことは、今も生き生きと私のなかで甦ってくる。サッカーのこと、選手のこと、そして戦術のこと――彼の、当時にしては極めて先進的な考えについていくのは大変だった。

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