招聘された理由が今、ミハイロビッチの立場を危うくしている。

格下相手に取りこぼしたのではなく、相手を怖れて後手を踏んだこの2試合。強者&勝利者のメンタリティーを完全に失ったチームに、ミハイロビッチ監督も有効な手を打てないまま、ついに自身も窮地に立たされた。 (C) Getty Images
ミランのベンチ周辺の温度は、冬にもかかわらず、また上昇してきている。
カルピ、ヴェローナという下位2チームと対戦し、どちらも引き分け(それも決めたのはたった1ゴール)……。ミハイロビッチ監督は、またも“被告席”に後戻りだ。
彼の罪状は、チームのプレー(ほとんどないに等しい)、選手の選び方(例えば明らかに良くないチェルチにこだわっている)、そしてコミュニケーションの方法(彼の発言はあまりにもアグレッシブで、これはミランのスタイルには合わない)である。
つまり、ミハイロビッチはミラン幹部が思っていた以上に「御し難い」監督だったのだ。
もちろん、彼がひと筋縄でいかない人物であることは、監督に据える時から分かっていたこ。むしろ、それを期待しての人選だったとも言える。当時、ミランは緩い空気の漂うチームに、喝を入れられるような監督を求めていたのだ。
一方、ミハイロビッチにとってミランは、明らかに期待外れだったことだろう。
選手たちのモチベーションも低く、試合では常に及び腰、そして何より、チームトップの経営の拙さと、テクニカルな分野にまで口を出すオーナーのベルルスコーニ……。
ミハイロビッチは当然ながら、オーナーの考えを取り入れなければいけない。しかし、ベルルスコーニの選んだ選手では不満が残るし、何より彼のキャラがそれを納得しない。
もちろんミハイロビッチにしても、ミランの監督に就任する前に、彼の上司となるオーナーがどんな人物であるかは分かっていたはずだ。
ベルルスコーニはサッカーを心から愛しているし、サッカー通を自負している。しかし、サッカーをよく知っているからといって、チームを指揮できるわけではない。にもかかわらず、彼は戦術や人選、ピッチでのあり方にまで口を挟む。
会長が監督にアドバイスすることはよくあることだが、ベルルスコーニの場合、度が過ぎるのだ。
「自分の考えを監督に押し付けたことなど、今も昔も一度もない」とベルルスコーニは主張するが、過去を振り返ってみると、歴代の監督たちは最後に必ず、このオーナーの意向に従っている。
しかしミハイロビッチは、「自分の考えでしか動かない」という看板を掲げてこれまでやってきた監督だ。彼の言葉を借りれば「背筋を伸ばして」、公明正大に、自分の信念に従ってチームを率いるのがポリシーであり、アイデンティティーなのだ。
全てがうまくいっている時は、それでも良かった。例えば新シーズンの初日会見で、ミハイロビッチがオーナーに完璧な自治権と決定戦を要求したことも、笑いのなかで好意的に受け取られた。
しかし、物事がうまくいっていない時には……彼の言動は非常に危険だ。特にチームが期待していた成績を出せていない時には……。
カルピ、ヴェローナという下位2チームと対戦し、どちらも引き分け(それも決めたのはたった1ゴール)……。ミハイロビッチ監督は、またも“被告席”に後戻りだ。
彼の罪状は、チームのプレー(ほとんどないに等しい)、選手の選び方(例えば明らかに良くないチェルチにこだわっている)、そしてコミュニケーションの方法(彼の発言はあまりにもアグレッシブで、これはミランのスタイルには合わない)である。
つまり、ミハイロビッチはミラン幹部が思っていた以上に「御し難い」監督だったのだ。
もちろん、彼がひと筋縄でいかない人物であることは、監督に据える時から分かっていたこ。むしろ、それを期待しての人選だったとも言える。当時、ミランは緩い空気の漂うチームに、喝を入れられるような監督を求めていたのだ。
一方、ミハイロビッチにとってミランは、明らかに期待外れだったことだろう。
選手たちのモチベーションも低く、試合では常に及び腰、そして何より、チームトップの経営の拙さと、テクニカルな分野にまで口を出すオーナーのベルルスコーニ……。
ミハイロビッチは当然ながら、オーナーの考えを取り入れなければいけない。しかし、ベルルスコーニの選んだ選手では不満が残るし、何より彼のキャラがそれを納得しない。
もちろんミハイロビッチにしても、ミランの監督に就任する前に、彼の上司となるオーナーがどんな人物であるかは分かっていたはずだ。
ベルルスコーニはサッカーを心から愛しているし、サッカー通を自負している。しかし、サッカーをよく知っているからといって、チームを指揮できるわけではない。にもかかわらず、彼は戦術や人選、ピッチでのあり方にまで口を挟む。
会長が監督にアドバイスすることはよくあることだが、ベルルスコーニの場合、度が過ぎるのだ。
「自分の考えを監督に押し付けたことなど、今も昔も一度もない」とベルルスコーニは主張するが、過去を振り返ってみると、歴代の監督たちは最後に必ず、このオーナーの意向に従っている。
しかしミハイロビッチは、「自分の考えでしか動かない」という看板を掲げてこれまでやってきた監督だ。彼の言葉を借りれば「背筋を伸ばして」、公明正大に、自分の信念に従ってチームを率いるのがポリシーであり、アイデンティティーなのだ。
全てがうまくいっている時は、それでも良かった。例えば新シーズンの初日会見で、ミハイロビッチがオーナーに完璧な自治権と決定戦を要求したことも、笑いのなかで好意的に受け取られた。
しかし、物事がうまくいっていない時には……彼の言動は非常に危険だ。特にチームが期待していた成績を出せていない時には……。