「あれからずっと身体の使い方を研究しています」
川崎がJ1に昇格した頃、平山昌弘というフィジカルコーチに出会った。80年代後半、スキーの旧ユーゴスラビア代表チームに帯同し、五輪やワールドカップのメダル獲得に貢献。国内では各分野のアスリートを指導する腕利きのトレーナーだ。
浦田は外国人選手が放つシュートやヘディングの威力の源が理解できなかったが、平山の理論を聞いたら納得し、筋力強化の考え方が180度変わったという。
その平山が14年から指導陣に名を連ね、折を見ては選手に手ほどきしてくれる。
「身体の使い方がものすごく大切なことを学びました。一流選手というのは上半身をしなやかに使っていますが、多くの選手が固まってしまう。関節を上手に使うことが技術力向上に役立つことを知り、あれからずっと身体の使い方を研究しています」
浦田は外国人選手が放つシュートやヘディングの威力の源が理解できなかったが、平山の理論を聞いたら納得し、筋力強化の考え方が180度変わったという。
その平山が14年から指導陣に名を連ね、折を見ては選手に手ほどきしてくれる。
「身体の使い方がものすごく大切なことを学びました。一流選手というのは上半身をしなやかに使っていますが、多くの選手が固まってしまう。関節を上手に使うことが技術力向上に役立つことを知り、あれからずっと身体の使い方を研究しています」
短いプロ生活に悔いはなかったのだろうか?
「僕は何をするにも無理をしていた。身体の使い方をもっと早く理解していたら怪我を防げ、もう少し長くやれたのかもしれない。だから身体の使い方を取り入れたメニューを勉強し、その悔しさを今の指導に生かしたいんです」
浦田が取材中、一番力を込めて放った言葉がこれだった。
(文中敬称略/名称はいずれも当時のもの)
取材・文●河野 正
【記事】浦和レッズでプロになった“早熟の天才”。28歳で現役を引退してからクラブ代表として辣腕を振るうまで
【記事】浦和レッズひと筋の男、山田暢久が引退後に歩んだ紆余曲折。現在は熱き指導者として奮戦中「進路も一緒に考えないといけない」
「僕は何をするにも無理をしていた。身体の使い方をもっと早く理解していたら怪我を防げ、もう少し長くやれたのかもしれない。だから身体の使い方を取り入れたメニューを勉強し、その悔しさを今の指導に生かしたいんです」
浦田が取材中、一番力を込めて放った言葉がこれだった。
(文中敬称略/名称はいずれも当時のもの)
取材・文●河野 正
【記事】浦和レッズでプロになった“早熟の天才”。28歳で現役を引退してからクラブ代表として辣腕を振るうまで
【記事】浦和レッズひと筋の男、山田暢久が引退後に歩んだ紆余曲折。現在は熱き指導者として奮戦中「進路も一緒に考えないといけない」