• トップ
  • ニュース一覧
  • 日本国籍放棄→香港代表でもプレーした“流転のサムライ”が歩んだ波瀾万丈なサッカー人生。「チーム数は鈴木隆行さんくらい多い」

日本国籍放棄→香港代表でもプレーした“流転のサムライ”が歩んだ波瀾万丈なサッカー人生。「チーム数は鈴木隆行さんくらい多い」

カテゴリ:海外日本人

河野 正

2024年01月30日

浦和ユースから西武台高へ転籍して選手権へ

香港リーグで14年間プレーした中村氏。異色のアタッカーは昨季終了後、36歳でスパイクを脱いだ。(C)Getty Images

画像を見る

 プロサッカー選手を始めたのが海外なら、終わりにしたのも海外だった。中村祐人は香港に14年、ポルトガルに1年居住し、香港代表でもプレーした遍歴の持ち主だ。昨季限りで引退し、帰国後は会社員として第2の人生を歩む傍ら、母校の青山学院大サッカー部コーチに就いて後輩の指導に情熱を注いでいる。

 中学から高校2年の8月まで浦和レッズの下部組織に所属し、そろってトップチームに昇格した中村祐也、大山俊輔と同期だった。しかし指導陣との考え方の相違もあり、9月に埼玉・西武台高校サッカー部へ転籍する。規定により半年間公式戦に出られなかったが、最終学年ではレギュラーFWとして活躍し、2004年度の第83回全国高校選手権初出場に力を貸した。同級生にはいずれも大学経由でJリーガーとなった福田俊介、島田祐輝、杉本裕之がいた。

 青学大では2年から主力となり、関東大学リーグ2部のベストイレブンと得点王(17点)に輝き、1部昇格に尽力。卒業後は浦和でプロになることを夢見たが、「どこからもオファーは届かず、サッカーを辞めることも考えました」と述懐する。

 身の振り方を思案していた4年の冬、知人から紹介された香港リーグ1部のTSWペガサスを訪れ、練習試合で得点を量産すると契約までこぎつけ、シーズン真っただ中の09年1月に加入した。「言葉や文化、生活の違いなどに不安はありましたが、香港人はめちゃくちゃ優しいし、岡野さんが翌月入団したことも心強かったですね」。浦和を契約満了となった野人こと、岡野雅行の加入が大層支えになったそうだ。
 
 どのチームも当時はブラジル人とアフリカ人選手が多く、彼らの独力に頼る戦法が主流だった。13クラブで構成されたが、経営破綻や八百長などで毎年チーム数が変わった。中村はデビュー戦でゴールを奪うなどすぐにチームの中核となり、リーグ戦出場は半数の12試合ながら7得点。3つのカップ戦ではすべて準優勝という戦績を残す。

 しかし2年目の契約交渉が不調に終わると、当時ポルトガル2部のポルティモネンセに完全移籍。金崎夢生や中島翔哉、権田修一らの元日本代表が在籍したことで、今ではすっかり名の知れたクラブになったが、その日本人第一号が中村だった。当地では「身体のサイズが足りず、今までのサッカーを否定されて精神的にきつかった」と苦しんだものの、「1年間やり切れたことは収穫だった」と前向きにとらえる。

【画像】セルジオ越後、小野伸二、大久保嘉人、中村憲剛ら28名が厳選した「 Jリーグ歴代ベスト11」を一挙公開!
【関連記事】
浦和レッズでプロになった“早熟の天才”。28歳で現役を引退してからクラブ代表として辣腕を振るうまで
浦和レッズひと筋の男、山田暢久が引退後に歩んだ紆余曲折。現在は熱き指導者として奮戦中「進路も一緒に考えないといけない」
憧れた小野伸二、新卒開幕戦デビュー、24歳での引退、脱サラ…元浦和レッズ戦士、池田“ロボ”学が歩んだ波乱万丈の半生
「未練がましいだけですよ」44歳にして現役を続ける“浦和レッズの元9番”永井雄一郎は爽やかに笑った「もっと巧くなりたい欲がある」
「今の彼が一番好きです」偉業を達成した山瀬功治と、鉄人を支えた姉さん女房の物語

サッカーダイジェストTV

詳細を見る

 動画をもっと見る

Facebookでコメント

サッカーダイジェストの最新号

  • 週刊サッカーダイジェスト なでしこJに続け!
    4月10日発売
    U-23日本代表
    パリ五輪最終予選
    展望&ガイド
    熾烈なバトルを総力特集
    詳細はこちら

  • ワールドサッカーダイジェスト ガンナーズを一大特集!
    5月2日発売
    プレミア制覇なるか!?
    進化の最終フェーズへ
    アーセナル
    最強化計画
    詳細はこちら

  • 高校サッカーダイジェスト 高校サッカーダイジェストVo.40
    1月12日発売
    第102回全国高校選手権
    決戦速報号
    青森山田が4度目V
    全47試合を完全レポート
    詳細はこちら

>>広告掲載のお問合せ

ページトップへ