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浦和レッズひと筋の男、山田暢久が引退後に歩んだ紆余曲折。現在は熱き指導者として奮戦中「進路も一緒に考えないといけない」

カテゴリ:Jリーグ

河野 正

2023年05月16日

同一クラブで20年目を迎えた日本人第一号

埼玉のクラブチームで中1を指導している山田さん。4月に本格的な指導をスタートさせたばかりだ。写真:河野正

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 静岡の古豪・藤枝東高校から1994年に浦和レッズへ加入した山田暢久は、2013年に引退するまで浦和に20年在籍した“ワンクラブマン”だ。

 チームでの公式戦出場は725試合を数え、J1通算500試合出場も達成した。引退後は浦和のスカウトや社会人リーグの監督などを務め、今春から埼玉県のクラブチームで中学1年生を指導している。

 山田には浦和のほか、名古屋グランパスや横浜マリノス(現横浜F・マリノス)、ジュビロ磐田など8チームから獲得の申し出があった。浦和と名古屋に絞った末、「弱いからすぐ試合に出られると思ったし、最初に誘ってくれた恩義もあった」との理由でJリーグ2年目の94年に浦和の一員となる。

 同年4月27日の清水エスパルス戦に3トップの右ウイングでフル出場。当時の横山謙三監督は「デビュー戦としては合格だが、思い切りのいいシュートがなかった」と注文を付けた。当人は「福田(正博)さんからずっと“俺にパスをよこせ”って圧力が掛かっていたから、怖くて自分で打てなかった」と抗弁している。

 かつて日本代表の指揮も執った横山さんは後年、山田をこう評した。

「新人なのにチームで3傑に入る能力があり、体幹の強さやスピード、持久力に優れていた。山田のドリブルが戦術を引き立ててくれるからFWで使った。仕事場の大半が右サイドだったが、真ん中で使っていたらさらに大成したと思う。どの監督もどのポジションがベストなのか迷ったようだが、それだけ希少な万能選手だったということです」

 山田は歴代監督から寵愛され、GKを除くすべてのポジションを受け持つことになる。

 2年目はトップ下から始まり、ボランチを経て3バックの右ウイングバックと右ストッパー。3年目が左ストッパーと右ウイングバックを務め、4年目は右ウイングバックと4バックの右SBを任された。

 原博実監督が就任した5年目の98年は、41試合あった公式戦にチーム唯一のフル出場。41試合すべてで右SBに入り、翌年は右のSBとウイングバックを担った。J2に陥落した00年は右のSBとウイングバックとストッパー。01年は右のSBとウイングバックに、4バックのCBと3バックのリベロまで引き受けている。日本代表にデビューした02年、ナビスコカップで初優勝した10年目の03年は、一貫して右ウイングバックで躍動する。

 元同僚のギド・ブッフバルト監督から主将に指名され、初のステージ優勝を飾った04年と天皇杯を制した05年、Jリーグ王者と天皇杯の2冠に輝いた06年の3シーズンはボランチ、トップ下、右ウイングバックの3役をこなしている。
 
 アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を制し、クラブ・ワールドカップ3位の07年は右のウイングバックとCB。翌年はボランチと右のほか、左ウイングバックでの初起用もあった。09年は右SBとCB、10年は公式戦35試合にすべてCBを担当。ポジションに変動がなかったのは98、02、03年に続く4度目の出来事で、「センターバックには、敵のストライカーを封じる楽しみがある」と事もなげに話していた。

 11年はボランチとCB、左右のSBを依頼されたが、さすがの鉄人も力の衰えは隠せず、12年のリーグ戦出場は20年間で最少の8試合(先発4)にとどまった。

 最終シーズンの13年は、同一クラブで20年目を迎えた日本人第一号となり、10月27日の柏レイソル戦で史上3人目のJ1通算500試合出場を達成。だが11月20日に契約満了を通告されると、逡巡の末に引退を決め「レッズで終わるのが一番いいと思った。20年もプレーできたので、やり残したことはない」と多芸多才な男はすがすがしかった。

 怪我による中長期の離脱は、07年秋に右ふくらはぎ肉離れで5週間休んだ一度だけ。天性の頑強な身体が永年勤続を可能にさせた。

 J1は501試合で25得点、J2が39試合で2得点。ナビスコカップは歴代最多の109試合に出場して6得点。天皇杯が53試合・5得点で、ACLは14試合・1得点という出色の戦績だった。

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