【ルーツ探訪】佐藤寿人――「回り道」

カテゴリ:Jリーグ

サッカーダイジェスト編集部

2015年12月04日

意識が変わったC大阪での1年間。眞中の姿勢に「甘さを痛感させられました」。

C大阪でも出場機会は限られたが、学ぶことも多かった。とりわけ、スーパーサブ眞中の姿勢には感銘を受けたと言う。写真:サッカーダイジェスト

画像を見る

「J2だし、試合数も多いし、なにしろJ1に昇格するために力になって欲しいという感じで誘われたので。目標があって前向きだったので、それで移籍を決めました」
 
 この決断は寿人にとって、大きな転機となった。C大阪でのプレー期間はわずかに1年に過ぎない。しかも戻ってこないはずだった西澤明訓がボルトンから復帰し、他にも森島寛晃や大久保嘉人(現・川崎)ら豊富な攻撃陣が揃っていた。

 寿人は彼らの影に隠れる形で、結局その年は13試合に出場し2得点。しかもそのすべてが途中出場という、到底満足できる結果ではなかった。
 
 にもかかわらず、寿人は「仮に時計の針が戻せたとしても、もう一度同じ状況でC大阪からオファーがあったら、もう一回行くと思います」と言う。

 なぜならC大阪に行ったことで、自分の意識の甘さを感じられたからだ。なかでも、眞中靖夫のプロ意識の高さは、寿人にとって衝撃的だった。
 
「スーパーサブっていうスタイルが眞中さんほど合う人はいない。それだけ与えられた時間で仕事ができる選手だった。僕も眞中さんと一緒にベンチに入っていたんですが、あの人のアップの仕方はホントにすごいんです。いつ出番が来てもいいように、すごいスプリントして心肺機能を上げる。たとえアップでも手を抜かないんです。
 
 そういうのを見ていると、自分がこれまでどれだけ甘かったかと痛感させられました。実際に眞中さんは10分でも15分でも点を取るんですよ。しっかり準備をすればチャンスを引き出せるし、結果を残せるんだなってことを教えられました」
 
 眞中の姿を見て、市原時代に出場時間の短さを言い訳にしていた自分が恥ずかしくさえ思えた。与えられた時間の中で仕事をこなす。それがプロなんだと、寿人はこの時に初めて認識したのだった。
 
 C大阪にはレンタル移籍だったため、寿人は1年後に市原への復帰がほぼ決まっていた。だが、寿人は、大した結果を残していない自分が、市原に戻るのはネガティブなことだと思っていた。だから違うチームを探す必要があった。
 
 幸運にも、その年の天皇杯で出場機会を得ると、4試合で3得点とアピール。その活躍が認められ、ギリギリのところで仙台からのオファーを勝ち取った。
【関連記事】
【広島】J1最多得点記録への到達は目前! 佐藤寿人が語るストライカーの極意
2年ぶりの王座奪還!【広島スペシャル対談】青山敏弘&森﨑和幸 「”優勝”を伝統にしていきたい」
【ルーツ探訪】テネリフェ移籍が決定した柴崎岳が貫く“ぶれない信念”の原点とは
知られざる岡崎の成長秘話 【ルーツ探訪】岡崎慎司――磨き抜いた“サムライ・スピリット”
【ルーツ探訪】本田圭佑――有言実行の男の原点にある挫折と敗北
【日本代表】ストライカー不遇の法則。佐藤寿人、豊田陽平…それでも代表監督に愛されなかった理由

サッカーダイジェストTV

詳細を見る

 動画をもっと見る

Facebookでコメント

サッカーダイジェストの最新号

  • 週刊サッカーダイジェスト なでしこJに続け!
    4月10日発売
    U-23日本代表
    パリ五輪最終予選
    展望&ガイド
    熾烈なバトルを総力特集
    詳細はこちら

  • ワールドサッカーダイジェスト 世界各国の超逸材を紹介!
    4月18日発売
    母国をさらなる高みに導く
    「新・黄金世代」大研究
    列強国も中小国も
    世界の才能を徹底網羅!!
    詳細はこちら

  • 高校サッカーダイジェスト 高校サッカーダイジェストVo.40
    1月12日発売
    第102回全国高校選手権
    決戦速報号
    青森山田が4度目V
    全47試合を完全レポート
    詳細はこちら

>>広告掲載のお問合せ

ページトップへ