【ルーツ探訪】佐藤寿人――「回り道」

カテゴリ:Jリーグ

サッカーダイジェスト編集部

2015年12月04日

2000年のトップチーム昇格が、苦難の道の始まりだった。

プロデビューの2000年には、ナビスコカップで2得点。2年目はリーグ戦でもゴールを挙げたが、「阿部ちゃんが主力として頑張っているわけで、そういうのを見ていると、もどかしさがあった」。写真:サッカーダイジェスト

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 周囲のサポートを受け、プロを身近に感じられる場所を手にした寿人は、その恵まれた環境のなかで、様々な刺激を感じ取っていく。
 
 例えばジュニアユース時代に影響を受けたのは、リトバルスキーだった。寿人が中学2年の時に現役を退いたが、夏の大会の時に、臨時コーチとして練習を見てくれる機会があった。

 別に特別なことを教えてくれたという記憶はない。だが、リトバルスキーの何気ないひと言が、寿人のプレーに大きな影響を及ぼすことになる。
 
「空いているところを狙っていけ、ということです。当たり前の事ですけど、あれだけの選手が基本的なことを言うわけです。だから僕の心にすごく響いた。

 それまでは感覚でやっていた部分があったんですけど、それからはもう、しっかり狙って蹴ることを意識してやっていました。それは今でもですね」
 
 また当時のジュニアユースでは珍しく、フィジカルコーチが付き、フィジカルやコーディネーションのトレーニングを専門的にやれたことも大きかった。とりわけ、ステップのトレーニングは寿人のプレースタイルの基盤形成に大いに役立った。
 
「僕のプレースタイルではいろんなステップを踏みながら、スピードの変化をつけなくてはいけないので。それを中学生の吸収力のある時にやれたのは良かった」
 
 ジュニアユースからユースに昇格しても、寿人は順調に成長を続けた。クラブ単位の活躍だけでなく、ユース代表にも名を連ねるなど、将来への道は大きく開かれていた。
 
 そして2000年、寿人は勇人と、すでにトップデビューを果たしていた阿部勇樹(現・浦和)とともにトップチームに昇格し、念願のプロサッカー選手になった。しかし、そこからが寿人にとっての苦難の道の始まりだった。

 プロ1年目の成績は8試合・0得点、2年目は14試合・2得点。決して優れているわけではないが、高卒選手としては格別悪いものでもない。
 
「でも、やっぱり阿部ちゃんが主力として頑張っているわけで、そういうのを見ていると、もどかしさがあった。

 2年目の最後の頃、なかなかチャンスが巡ってこない時は正直、フラストレーションが溜まりましたよ。たまに出ても、最後の10分とか5分とかじゃ、点なんか取れるわけはない。もっと時間をくれよと」

 
 そんな折に寿人の元に、この年J2に降格したC大阪からオファーが届く。ユース代表でも指導を受けた西村昭宏からの熱心な誘いだった。
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