【ルーツ探訪】佐藤寿人――「回り道」

カテゴリ:Jリーグ

サッカーダイジェスト編集部

2015年12月04日

子どもの夢を叶えるために、自らの夢を捨てた父親の決断。

ユース時代は世代別代表と縁がなかった。初めて青いユニホームに袖を通したのは、2000年のU-19代表でのことだ。写真:サッカーダイジェスト

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「春日部市の選抜チームを選考する時があって、各チームから2名までだったんですよ。それまでの大会のパフォーマンスを通して判断するってことで、僕自身、結構良い結果を残せたので自信があった。
 
 でも結果的に勇人ともうひとりの子が入って、僕は選ばれなかった。だから選抜の大会は親父と一緒に見に行きましたね。その時は本当に悔しかった。勇人に対してというよりも、なんでここに自分がいないんだろうと……」
 
 そうした悔しさを味わいつつも、寿人はますますサッカーが好きになっていった。小学校6年生の頃にJリーグが始まったことをきっかけに、プロになりたいという気持ちも自然と湧いてきた。

 だから、中学校に上がる時、学校の部活ではなく、Jクラブのユースチームでプレーしたいという想いを抱くようになっていった。ある時、テレビでジェフ市原(現・千葉)の下部組織が紹介されている番組を見た。ここに行こうと決心した。
 
 しかし、当時の佐藤家は埼玉の春日部でラーメン店を経営していた。たとえセレクションに受かったとしても、千葉までは通えない。とりあえずセレクションは受けたが、寿人には、子ども心に無理だという気持ちがあった。

 ところが結果は合格。すると父親はラーメン店をあっさりとたたみ、千葉県の八千代市に移り住むことを決意するのである。
 
「でも勇人は落ちちゃったんで、複雑でしたね。僕ひとりの為に引っ越さなくちゃいけないわけで。勇人は最初、市川カネズカっていう、名古屋の玉田くんとかがいたチームでプレーして。半年後にジェフをもう一度受けて、それで合格したので良かったんですけど」
 
 父親のラーメン屋は、それなりに繁盛していたという。しかし、子どもの夢を叶えるために自らの夢を捨てた。その決断に対し、当時の寿人は感謝の気持ちはもちろんあったが、それはどれだけすごいことなのかを理解していなかった。

 だが、自分が父親になった今は、その重大さが痛いほど分かる。
 
「父親としては、すごいリスクがあったと思う。僕が今、子どもの夢をサポートするためにサッカーを辞めて、違う土地に行って、別の人生を歩むことなんて、そう簡単にはできないと思う。

 それだけ大きいことだと今は分かるから、親には口では言い表せないほど感謝していますね。その分、僕と勇人でこれからしっかりと恩返ししていかなくちゃいけないなと思っています」
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