鹿島でのジーコは日本代表監督時代とは別人だった

ジーコの鮮烈な3発は今なお語り草となっている。開幕戦勝利の勢いに乗って、鹿島はサントリーシリーズを制覇する。写真:サッカーダイジェスト

Jリーグ開幕戦の鹿島のスターティングイレブン。ジーコのほか、サントスやアルシンド、古川、大野といった面々が名を連ねた。写真:サッカーダイジェスト
鹿島はJ創設メンバーの中では最後発のチームだったが、ジーコは優勝しか考えていなかった。1992年にはJリーグの開幕に先駆けてナビスコカップが行われ、鹿島はベスト4に入り驚かせた。しかしジーコは、王者ヴェルティに敗れたことに切歯扼腕した。
大きな転機になったのが、Jリーグの開幕を控えた1993年4月のイタリア遠征だった。
当初2戦目にはジーコの古巣ウディネーゼとの試合が予定されていたが、リーグ戦で好調だったために対戦を渋られた。そこでジーコ自らが交渉に乗り出し、ちょうどウディネで合宿中だったクロアチア代表とのマッチメイクを決めてしまう。
まだ日本はプロ開幕前で、ワールドカップにも出場していない。キリンカップでナショナルチームを招待するようになったのも前年からで、逆に日本の単独チームが代表チームと試合を組むことなど考えられなかった。一方クロアチアは、日本が初出場する5年後のワールドカップで3位になる強豪である。鹿島が先制し彼らの闘争心に火をつけたこともあり、終わってみれば8ゴールを叩き込まれていた。
「クロアチアはベストメンバー。試合が出来るだけでもラッキーな相手。敵うわけがない。ところがそれでもジーコは激高しました。白板をバーンと叩きマグネットが飛び散る。僕もそれを拾い集めながら一緒に怒鳴りました。いつもジーコからは、スタッフも同じユニフォームを着るんだ、と言われていましたから」(鈴木圀弘)
クロアチア戦の翌日から、ジーコは笛を持ち完全にチームを指揮するようになる。監督は宮本征勝だったが「チームが良くなるならそれでいい」と、快くジーコの進言を受け入れた。
大きな転機になったのが、Jリーグの開幕を控えた1993年4月のイタリア遠征だった。
当初2戦目にはジーコの古巣ウディネーゼとの試合が予定されていたが、リーグ戦で好調だったために対戦を渋られた。そこでジーコ自らが交渉に乗り出し、ちょうどウディネで合宿中だったクロアチア代表とのマッチメイクを決めてしまう。
まだ日本はプロ開幕前で、ワールドカップにも出場していない。キリンカップでナショナルチームを招待するようになったのも前年からで、逆に日本の単独チームが代表チームと試合を組むことなど考えられなかった。一方クロアチアは、日本が初出場する5年後のワールドカップで3位になる強豪である。鹿島が先制し彼らの闘争心に火をつけたこともあり、終わってみれば8ゴールを叩き込まれていた。
「クロアチアはベストメンバー。試合が出来るだけでもラッキーな相手。敵うわけがない。ところがそれでもジーコは激高しました。白板をバーンと叩きマグネットが飛び散る。僕もそれを拾い集めながら一緒に怒鳴りました。いつもジーコからは、スタッフも同じユニフォームを着るんだ、と言われていましたから」(鈴木圀弘)
クロアチア戦の翌日から、ジーコは笛を持ち完全にチームを指揮するようになる。監督は宮本征勝だったが「チームが良くなるならそれでいい」と、快くジーコの進言を受け入れた。
鹿島でのジーコは、日本代表監督時代とは別人だった。
「ポジショニングもセンチメートル単位で細かな指示を徹底していました」(鈴木圀弘)
「戦術も本当に細かく積み上げていった。個人戦術からグループへと繋げていき、駆け引きに長け、テーマを意識させるのが上手かった」(鈴木満)
クロアチア戦後の怒髪天を衝くジーコのミーティングを経て、チームは開幕へ向けて引き締まっていく。帰国してブラジルの強豪フルミネンセを迎えるが、2戦して1勝1分けだった。
「相手のエドゥ監督も鹿島の戦いぶりには驚いていました」(GK古川)
◇ ◇
後半に入ると、さらに鹿島が加速する。59分、サントスのフィードをジーコが頭で繋ぎ、アルシンドがマークするDFの股間を抜いて冷静に3点目。そして63分には、アルシンドへパスを出したジーコが、再びゴール前に顔を出して左足ボレーでハットトリックを完成。最後はアルシンドの華麗なループも決まって鹿島は5-0で大勝した。
古川は言う。
「ジーコはクラブの象徴。みんながこの人のためにやらなきゃ、と引き締まり、勝つためには何が必要なのか。それをフロント、サポーターも巻き込んで、基礎から作り上げていったんです」
またリネカーと対峙した大野俊三も、無失点に抑えることに成功した。
「とにかく前を向かせたら、小刻みなドリブルと振りの速いシュートがある。でもまだ、ここにくれ、と動き出しても、パスを出せるのがジョルジーニョしかいない様子でした。だからこちらは常にジョルジーニョを視野に入れながら、リネカーをしっかりマークするにしたんです」