オシムのビジョン、ギドの本音…名役者が共演した90年W杯、西独vsユーゴの真相【名勝負の後日談】

カテゴリ:連載・コラム

加部 究

2020年05月11日

短期集中連載『名勝負の後日談』vol.6 90年W杯西ドイツ対ユーゴスラビア|欧州のブラジル」には多くの才能が溢れていた

90年W杯でユーゴスラビアを率いたイビチャ・オシム氏。2003年からは市原(現千葉)、2006年からは日本代表も率いた。(C) Getty Images

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 長丁場を勝ち抜くための定説があった。
「優勝を狙いようなチームは、後半戦にピーキングを合わせていく」

 特に西ドイツには、この傾向が強かった。優勝した2度の大会(54年、74年)では、いずれもグループリーグで黒星を喫し、82年スペイン大会でも初戦でアルジェリアに金星を献上しながら決勝まで勝ち上がっている。

 だが90年イタリア・ワールドカップを迎える西ドイツには、ピーキングを計算する余裕などなかった。2年前に地元で開催されたユーロでは、準決勝でオランダに逆転負け。因縁の濃い隣国とはワールドカップ予選でも同居し、首位の座を譲っていた。

 そしてそんな西ドイツとの開幕カードの相手に選ばれたのがユーゴスラビア。「欧州のブラジル」と呼ばれる芸術家肌の国には多くの才能が溢れ、大陸予選も無敗でトップ通過を果たしていた。

 チームを率いるイビチャ・オシムは、代表監督5年目を迎えていた。

「物凄く大変な仕事だった。自信などないまま始めたよ。それまで代表チームは、ベオグラードやザグレブの有名な選手たちで構成されていた。しかし私は名前に関係なく戦えるチームを作りたかった。だから休む間もなく国中を駆け巡り、さらに外国でプレーする選手をチェックする必要もあったので、ほとんど家に帰る間もなかった」

 皮肉なことに、戦火が忍び寄るユーゴスラビアでは、まるで集大成のようなチームが出来上がりつつあった。オシムがアシスタントコーチを務めた84年ロサンゼルス五輪(銅メダル)のメンバーが成熟し、87年のワールドユース選手権を制したメンバーもフル代表に引き上げられ始めていた。

「イタリア・ワールドカップは、経験豊かな選手と若手をミックスして構成した。ロス五輪でプレーしたピクシー(ドラガン・ストイコビッチ)が25歳になり、(ロベルト)プロシネツキ、(ロベルト)ヤルニ、(アレン)ボクシッチ、(ダボル)シューケルはメンバー入りしたが、(ツボニミール)ボバンや(プレドラグ)ミヤトビッチは、まだ若過ぎた。しかし世代間がしっかりと融合し、未来への準備は整いつつあった」
 

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