現場の関係者にとってはアンドレアス・イニエスタの来日を凌駕する激震だった
「ジーコは、いつもゴールの角に的をつけ、必ず人で壁を作ってFKの練習をしていましたが、10本蹴れば8本くらいは(的に)当ててしまっていました」
現在鹿島の強化部長を務める鈴木満が述懐している。
とにかくジーコは本気だった。一度引退をしたとはいえ、長年セレソン(ブラジル代表)の10番を背負い、フラメンゴを世界一に導いた極めつけのファンタジスタがやって来たのは、日本リーグ2部で戦う住友金属である。土のグラウンドで佇むジーコに赤とんぼが止まるのを見た通訳の鈴木圀弘は、いたたまれなくなって尋ねたという。
「こんなところでプレーしていてむなしくないんですか?」
しかしジーコは平然と答えた。
「最初からこういうものだと思って切り替えてきたから大丈夫なんだ」
むしろ発展途上国への伝道は自分の使命だと考えていたようで、それは日本代表監督を退いた後のイラク、ウズベキスタン、インドでの指導と符合する。
鹿島の前身に当たる住友金属のジーコ獲得交渉は、極秘裏に進められた。クラブに通訳として雇われた鈴木圀弘も、誰につくのかは一切明かされていなかった。
現在鹿島の強化部長を務める鈴木満が述懐している。
とにかくジーコは本気だった。一度引退をしたとはいえ、長年セレソン(ブラジル代表)の10番を背負い、フラメンゴを世界一に導いた極めつけのファンタジスタがやって来たのは、日本リーグ2部で戦う住友金属である。土のグラウンドで佇むジーコに赤とんぼが止まるのを見た通訳の鈴木圀弘は、いたたまれなくなって尋ねたという。
「こんなところでプレーしていてむなしくないんですか?」
しかしジーコは平然と答えた。
「最初からこういうものだと思って切り替えてきたから大丈夫なんだ」
むしろ発展途上国への伝道は自分の使命だと考えていたようで、それは日本代表監督を退いた後のイラク、ウズベキスタン、インドでの指導と符合する。
鹿島の前身に当たる住友金属のジーコ獲得交渉は、極秘裏に進められた。クラブに通訳として雇われた鈴木圀弘も、誰につくのかは一切明かされていなかった。
「ブラジルに滞在していた頃から、ジーコの大ファンだったので、聞かされて物凄い重圧が押し寄せて来ました。今でもよく覚えていますが、ジーコが来日会見をすると、みんな選手たちも足が震えていました。テレビで拝むのも難しいスーパースターが目の前にいるわけですからね」
サッカーがメジャー化する前夜のことだ。社会的な認知度はともかく、現場の関係者にとってはアンドレアス・イニエスタの来日を凌駕する激震だった。特に当時監督だった鈴木満は過度のプレッシャーで「眠れなくなり、次の朝またグラウンドへ行くのが憂鬱になった」という。
「毎日ジーコが質問攻めにしてくる。トレーニングメニューの意味、ゴールネットの色、更衣室の状況から食事まで、気がついたことを矢継ぎ早に聞いてくる。そこである時割り切りました。ジーコは年上だし、すべて教わってしまおうと。それからはジーコに指導を受けながら、言われた課題をクリアーしていった。こうしてアントラーズは、他のクラブがプロ化に時間を要している間に、急ピッチで体制作りを進められたんです」