U-20W杯で小川に襲い掛かった左膝の大怪我――。今だから言える本心
――U-19代表を率いていた内山篤監督は当時、試合に出ないと招集しない方針を持っていました。出られない現実に焦りはなかったですか?
すごくありましたね。ほかのメンバーはチームで試合に出ていました。その中で自分は代表に行けば、ゴールを決めているのに磐田で出番がない。クラブで上手くいかない状況に、『なんで俺が?』というのもありました。そういう気持ちが強くて、『なんでだ、なんでだ』と自問自答していましたね。当時のチームにはジェイ(現札幌)もいたので競争も激しかったのも事実ですけど」
――それでもその壁を乗り越え、翌年のルヴァンカップではゴールも決めました。勢いに乗った状況でU-20ワールドカップを迎えましたが、予期せぬアクシデントからウルグアイ戦で大怪我。かなり調子が良かっただけに残念な結果でした。(編集部・注/グループステージ2節のウルグアイ戦で左膝前十字靭帯損傷と半月板損傷を負う)
「すごく、調子も良かったですし、U-20ワールドカップに掛ける想いも大きかった。若い時に世界を経験でき、世界から目を向けられる大会でもある。自分としては人生を変える大きな大会だと意気込んでいたんです。なので、あのアクシデントは本当に苦しかった。チームでも結果が出ていない状況だったので、あの怪我は本当に痛かったですね」
――それでも負傷後も仲間の前で気丈に振る舞っていました。それが小川選手の強さなのかなと思いましたけど、一方で強がっているようにも見えました。
「すごく落ち込んでいる姿を見せたくないという想いもありました。でも、チームは大会の最中だったので、一緒に戦いたい気持ちがそうさせましたね」
――ただ、その立ち振る舞いに仲間も応えてくれました。その3日後のイタリア戦では堂安(律/現フローニンヘン)選手がゴールを決めると、波多野(豪/現FC東京)選手がベンチから小川選手のユニホームを持ってきたのを今でも覚えています。グッとくるものがあったのではないでしょうか?
「あのような形でユニホームを持ってきてくれて...。自分のことを少しでも思いながらプレーしてくれる仲間がいたので、すごくありがたかった。俺も頑張らないとダメだなと感じましたね」
――仲間の活躍を見届け、小川選手は一足早く日本に帰国。そこから手術を経て長く苦しい怪我のとの戦いをスタートさせました。リハビリ中にナショナルトレーニングセンターで過ごしたのも大きな意味があったのではないでしょうか。
「手術後は病院に1か月ほど滞在して、その後の3か月ぐらいはナショナルトレーニングセンターにいました。いろんな人との出会いもありましたし、他競技の選手とも知り合いました。すごく刺激になり、得るものは多かったですね。
すごくありましたね。ほかのメンバーはチームで試合に出ていました。その中で自分は代表に行けば、ゴールを決めているのに磐田で出番がない。クラブで上手くいかない状況に、『なんで俺が?』というのもありました。そういう気持ちが強くて、『なんでだ、なんでだ』と自問自答していましたね。当時のチームにはジェイ(現札幌)もいたので競争も激しかったのも事実ですけど」
――それでもその壁を乗り越え、翌年のルヴァンカップではゴールも決めました。勢いに乗った状況でU-20ワールドカップを迎えましたが、予期せぬアクシデントからウルグアイ戦で大怪我。かなり調子が良かっただけに残念な結果でした。(編集部・注/グループステージ2節のウルグアイ戦で左膝前十字靭帯損傷と半月板損傷を負う)
「すごく、調子も良かったですし、U-20ワールドカップに掛ける想いも大きかった。若い時に世界を経験でき、世界から目を向けられる大会でもある。自分としては人生を変える大きな大会だと意気込んでいたんです。なので、あのアクシデントは本当に苦しかった。チームでも結果が出ていない状況だったので、あの怪我は本当に痛かったですね」
――それでも負傷後も仲間の前で気丈に振る舞っていました。それが小川選手の強さなのかなと思いましたけど、一方で強がっているようにも見えました。
「すごく落ち込んでいる姿を見せたくないという想いもありました。でも、チームは大会の最中だったので、一緒に戦いたい気持ちがそうさせましたね」
――ただ、その立ち振る舞いに仲間も応えてくれました。その3日後のイタリア戦では堂安(律/現フローニンヘン)選手がゴールを決めると、波多野(豪/現FC東京)選手がベンチから小川選手のユニホームを持ってきたのを今でも覚えています。グッとくるものがあったのではないでしょうか?
「あのような形でユニホームを持ってきてくれて...。自分のことを少しでも思いながらプレーしてくれる仲間がいたので、すごくありがたかった。俺も頑張らないとダメだなと感じましたね」
――仲間の活躍を見届け、小川選手は一足早く日本に帰国。そこから手術を経て長く苦しい怪我のとの戦いをスタートさせました。リハビリ中にナショナルトレーニングセンターで過ごしたのも大きな意味があったのではないでしょうか。
「手術後は病院に1か月ほど滞在して、その後の3か月ぐらいはナショナルトレーニングセンターにいました。いろんな人との出会いもありましたし、他競技の選手とも知り合いました。すごく刺激になり、得るものは多かったですね。