全身全霊を込めて挑んだ最後の選手権。結果はまたしても...。
――ひょっとして、これもまた始発?
「そうですね、5時半ぐらいから待っていましたね(笑)。始発で行って、監督の家の近くにあるコンビニにいたら、偶然にも監督の娘さんに会ったんですよ。僕も面識があったので、『今起きてきたよ』と教えてくれました。そこから『小川君、家の前にいたんだけど』と連絡してくれて、家に入れてもらえました」
――そこではどんな話を?
「最初、監督はむっとしていたんです。だけど、僕は自分の想いを伝えたくて、『すみませんでした、僕はこれから日本一になるために、一日でも早く合流したいので練習に戻してください』と伝えました」
――紆余曲折がありながら個人としてもチームとしても成長し、高校最後の冬を迎えました。しかし、最後は選手権の3回戦で青森山田に、後半アディショナルタイムの2失点で追い付かれ、PK戦の末に敗れるというまさかの展開でしたね。
「正直この年は、2-0で勝っていても、追い付かれる、逆転される試合が結構あったんです。2-0の危険性や3点目の大事さも分かっていたので、チームとして課題にしていた。そのなかで3点目を取れなかったので、ピッチに怪しい雰囲気が漂っていましたね」
――PKで3点目を取るチャンスがありながらも、自身が外してしまいました。
「そうですね。なんであれが入らなかったのかなと......。外さなければ、ハットトリックだったので、みんなも『あれ?』っていう感じでした。たられば、ですけど、あれが決まっていれば普通に試合は終わっていたはずでした」
――追い付かれて迎えたPK戦。相手のGKは代表でも、ともに戦った廣末陸(現山口)でした。
「会場の雰囲気がざわついていて、そわそわしていたのを覚えています。結局、代表のチームメイトでもあった廣末選手に止められてしまいました。『こっちに蹴るんだろ』という彼のジェスチャーも含め、すごく楽しかったんですけどね。でも、あの経験は今に生きています」
――悔しい想いに浸る間もなく、すぐに磐田での生活が始まりました。複数のJクラブが興味を示していたなかで、入団の決め手はどこだったのでしょうか。
「名波(浩)監督の存在は大きかったです。練習に行った時の雰囲気も良かったので、ここでやりたいなと。トレーニング後もFWの指導に多くの時間を割いてくれて、居残りでシュートにも付き合ってくれました。名波さんも日本人のFWを育てたいとおっしゃっていましたし、この人のもとであれば成長できる、そして自分もその期待に応えたいという想いが大きかったですね」
――ただ、1年目は試合に出場できず、活躍できませんでした。一番苦しかったのは?
「高校レベルではやれていたのに、ゴール前の強さだけでは通用しなかったんです。寄せの速さや身体の強さは高校と全然違う。そこはいろいろと考えさせられました」
「そうですね、5時半ぐらいから待っていましたね(笑)。始発で行って、監督の家の近くにあるコンビニにいたら、偶然にも監督の娘さんに会ったんですよ。僕も面識があったので、『今起きてきたよ』と教えてくれました。そこから『小川君、家の前にいたんだけど』と連絡してくれて、家に入れてもらえました」
――そこではどんな話を?
「最初、監督はむっとしていたんです。だけど、僕は自分の想いを伝えたくて、『すみませんでした、僕はこれから日本一になるために、一日でも早く合流したいので練習に戻してください』と伝えました」
――紆余曲折がありながら個人としてもチームとしても成長し、高校最後の冬を迎えました。しかし、最後は選手権の3回戦で青森山田に、後半アディショナルタイムの2失点で追い付かれ、PK戦の末に敗れるというまさかの展開でしたね。
「正直この年は、2-0で勝っていても、追い付かれる、逆転される試合が結構あったんです。2-0の危険性や3点目の大事さも分かっていたので、チームとして課題にしていた。そのなかで3点目を取れなかったので、ピッチに怪しい雰囲気が漂っていましたね」
――PKで3点目を取るチャンスがありながらも、自身が外してしまいました。
「そうですね。なんであれが入らなかったのかなと......。外さなければ、ハットトリックだったので、みんなも『あれ?』っていう感じでした。たられば、ですけど、あれが決まっていれば普通に試合は終わっていたはずでした」
――追い付かれて迎えたPK戦。相手のGKは代表でも、ともに戦った廣末陸(現山口)でした。
「会場の雰囲気がざわついていて、そわそわしていたのを覚えています。結局、代表のチームメイトでもあった廣末選手に止められてしまいました。『こっちに蹴るんだろ』という彼のジェスチャーも含め、すごく楽しかったんですけどね。でも、あの経験は今に生きています」
――悔しい想いに浸る間もなく、すぐに磐田での生活が始まりました。複数のJクラブが興味を示していたなかで、入団の決め手はどこだったのでしょうか。
「名波(浩)監督の存在は大きかったです。練習に行った時の雰囲気も良かったので、ここでやりたいなと。トレーニング後もFWの指導に多くの時間を割いてくれて、居残りでシュートにも付き合ってくれました。名波さんも日本人のFWを育てたいとおっしゃっていましたし、この人のもとであれば成長できる、そして自分もその期待に応えたいという想いが大きかったですね」
――ただ、1年目は試合に出場できず、活躍できませんでした。一番苦しかったのは?
「高校レベルではやれていたのに、ゴール前の強さだけでは通用しなかったんです。寄せの速さや身体の強さは高校と全然違う。そこはいろいろと考えさせられました」