フロンターレはいつしか面白いクラブだと評されるように
2007年には、親会社の威光やよしみとは無縁のところから、川崎で発祥した地元企業による非常に大きな協賛の話がまとまる。後日、その企業の社長に話を聞くと、広告には興味がなく、必要もないと思う一方で、地域貢献活動には絶対に関わりたいと考えていたそうだ。フロンターレがそこをしっかりやっているのが、協賛の決め手になったと教えてくれた。
あとになって振り返ると、地域に密着し、心地よいマッチデーの雰囲気を作ってきたのは生き残るためだった。井川が大学4年生の1998年には、横浜フリューゲルスが事実上消滅している。
「支えてくれる会社がたくさんあれば、こういう危機には陥らなくてすんだはずなのに……」
経営学部で学び、マーケティングを得意科目としていた井川は、ビジネスの領域であれば自分でも役に立てるかもしれないと、当時は就職口がごく限られていたこの世界を志したのだ。
フロンターレはいつしか、面白いクラブだと評されるようになっていた。サッカーには興味のない人たちとの接点を増やしていくために、川崎にゆかりのあるヒトやモノを巻き込み、貴重なネームバリューを梃子のように活かしながら、前人未踏の、一般紙の社会面でも取り上げられるような話題を立て続けに送り出してきたからだ。
フロンターレは創立21周年を迎えた2017年に悲願のJ1初制覇を果たす。井川はクラブの了承を取り、優勝チームに授与される円形のシャーレを社外に持ち出した。尋常一様ではない情熱を注いで、クラブと地域を結びつけてくれた恩人が病床に伏せていたからだ。
「カテゴリーなんて、関係ある?」と、井川の思い込みを吹き飛ばしてくれたあの青年だ。自身の両手で初タイトルのシャーレを掲げてから間もなく、その人は亡くなった。
あとになって振り返ると、地域に密着し、心地よいマッチデーの雰囲気を作ってきたのは生き残るためだった。井川が大学4年生の1998年には、横浜フリューゲルスが事実上消滅している。
「支えてくれる会社がたくさんあれば、こういう危機には陥らなくてすんだはずなのに……」
経営学部で学び、マーケティングを得意科目としていた井川は、ビジネスの領域であれば自分でも役に立てるかもしれないと、当時は就職口がごく限られていたこの世界を志したのだ。
フロンターレはいつしか、面白いクラブだと評されるようになっていた。サッカーには興味のない人たちとの接点を増やしていくために、川崎にゆかりのあるヒトやモノを巻き込み、貴重なネームバリューを梃子のように活かしながら、前人未踏の、一般紙の社会面でも取り上げられるような話題を立て続けに送り出してきたからだ。
フロンターレは創立21周年を迎えた2017年に悲願のJ1初制覇を果たす。井川はクラブの了承を取り、優勝チームに授与される円形のシャーレを社外に持ち出した。尋常一様ではない情熱を注いで、クラブと地域を結びつけてくれた恩人が病床に伏せていたからだ。
「カテゴリーなんて、関係ある?」と、井川の思い込みを吹き飛ばしてくれたあの青年だ。自身の両手で初タイトルのシャーレを掲げてから間もなく、その人は亡くなった。
フロンターレにはもうひとつ掛け替えのない特長があるじゃないかと、井川を含めたクラブの人間が言語化できたのは比較的最近だ。面白くて、温かい。温かくて、面白い。
2020年の年末に急きょ開催された中村憲剛の引退セレモニーも、フロンターレらしさに溢れていた。吐く息の真っ白なとても寒い夜、ワンクラブマンという括りではその足跡の重みを表現しきれないフロンターレの象徴に、大きな感謝を伝える惜別の会は2時間を優に超える。
「2時間はちょっと長くない?」
会場の等々力陸上競技場に最寄り駅から歩いて向かいながら、冗談めかしてそんな軽口を叩いていた招待客のある女性は、鳴り止まない拍手に包まれながらセレモニーが終わろうとしていた時、すっかり涙ぐんでいた。凍てつく夜なのに、心はポカポカ温かくなっていた。
【沖縄キャンプPHOTO】ついに合流!川崎フロンターレに加入したチャナティップ!
2020年の年末に急きょ開催された中村憲剛の引退セレモニーも、フロンターレらしさに溢れていた。吐く息の真っ白なとても寒い夜、ワンクラブマンという括りではその足跡の重みを表現しきれないフロンターレの象徴に、大きな感謝を伝える惜別の会は2時間を優に超える。
「2時間はちょっと長くない?」
会場の等々力陸上競技場に最寄り駅から歩いて向かいながら、冗談めかしてそんな軽口を叩いていた招待客のある女性は、鳴り止まない拍手に包まれながらセレモニーが終わろうとしていた時、すっかり涙ぐんでいた。凍てつく夜なのに、心はポカポカ温かくなっていた。
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