「このままでは、たぶん無理だと思います」
そこからトントン拍子に事が運んだわけではなかったが、井川は伝手のさらに伝手に恵まれて、アルバイトを募集していた川崎フロンターレで翌1999年2月から働きはじめる。
「あそこで川淵さんと出会っていなければ、きっと途中で諦めていたと思います。サッカーの仕事はやっぱり無理だって」
応募者が井川ひとりだけだったアルバイトから翌年フロンターレの社員となり、5年が過ぎ、10年が過ぎ、20年が過ぎ、いつしか井川は逆算するようになっていた。JFAが約束として掲げている「2050年までにワールドカップ優勝」を実現するために、自分に何ができるのか。
「歴代優勝国はいずれも、サッカーが圧倒的な人気スポーツです」
この国でも、サッカーを圧倒的な人気スポーツにしていくためには? みんなで力を合わせて、Jリーグを魅力溢れるリーグにしていかないと――。
「このままでは、たぶん無理だと思います。ワールドカップで優勝するなんて」
――◆――◆――
クラブ創立26周年を語呂合わせの「フロ周年」として祝う2022年のフロンターレだが、井川がアルバイトで入社してからしばらくは人気もなく、地域からも必要とされていなかった。
どうすれば応援してもらえるのだろうか? 井川は市民で賑わう川崎市内の各商店街にちょくちょく顔を出し、店舗ごとにクラブの広報誌を手渡しながら積極的に話し掛けた。井川自身がまず好意を持ってもらえたら、それが小さなきっかけになるかもしれない。
「あそこで川淵さんと出会っていなければ、きっと途中で諦めていたと思います。サッカーの仕事はやっぱり無理だって」
応募者が井川ひとりだけだったアルバイトから翌年フロンターレの社員となり、5年が過ぎ、10年が過ぎ、20年が過ぎ、いつしか井川は逆算するようになっていた。JFAが約束として掲げている「2050年までにワールドカップ優勝」を実現するために、自分に何ができるのか。
「歴代優勝国はいずれも、サッカーが圧倒的な人気スポーツです」
この国でも、サッカーを圧倒的な人気スポーツにしていくためには? みんなで力を合わせて、Jリーグを魅力溢れるリーグにしていかないと――。
「このままでは、たぶん無理だと思います。ワールドカップで優勝するなんて」
――◆――◆――
クラブ創立26周年を語呂合わせの「フロ周年」として祝う2022年のフロンターレだが、井川がアルバイトで入社してからしばらくは人気もなく、地域からも必要とされていなかった。
どうすれば応援してもらえるのだろうか? 井川は市民で賑わう川崎市内の各商店街にちょくちょく顔を出し、店舗ごとにクラブの広報誌を手渡しながら積極的に話し掛けた。井川自身がまず好意を持ってもらえたら、それが小さなきっかけになるかもしれない。
すると誰かに頼まれてではなく、自発的に広報誌の配布を手伝ってくれる青年が現われた。夏祭りのイベントでは来場者を仕切ってくれ、年会費1万円でクラブを支援してもらうサポートショップ制度を導入すると、加入する商店をたくさん紹介してくれたその青年は、やがて応援団の中心人物となっていく。
「カテゴリーなんて、関係ある?」
首を傾げながらそんな疑問を呈してきたのは、商店街で知り合った別の青年だ。J1でなければ応援してもらえない。そんな思い込みに囚われていた井川に、少しだけ年長の青年はこう続けた。
「応援してもらえないのはJ2だから? そうじゃないだろ。どんなカテゴリーでも、愛されるクラブになっていくべきだ」
青年たちは川崎に生まれ、川崎に愛着を持ち、川崎を良くしていきたい。そんな思いでつながっていた。強いからではなく、この街に必要だから、応援する。やがてフロンターレは「川崎の人たちを元気に、笑顔にするために存在している」とクラブのアイデンティティを確立していく。試合運営や地域貢献活動などを幅広く手伝ってくれるボランティアは、募集1年目の3人から数年で20~30人に増え、やがて400人規模の組織へと成長していった。
スタジアムではブーイングをやめた。
「本当に人気がなかったからです。せめて一見のお客さんや、ちっちゃな子どもたちが楽しく観戦できる雰囲気にしていこうと、応援団のサポーターたちが提案してくれました。ブーイングが鳴り響く、殺伐としたスタジアムなら次はもう来てくれない。親御さんだって、そんなところに自分の可愛い子どもを連れて行こうとは思わないよねって」
【画像】2022 J1リーグ各チームの開幕予想布陣!
「カテゴリーなんて、関係ある?」
首を傾げながらそんな疑問を呈してきたのは、商店街で知り合った別の青年だ。J1でなければ応援してもらえない。そんな思い込みに囚われていた井川に、少しだけ年長の青年はこう続けた。
「応援してもらえないのはJ2だから? そうじゃないだろ。どんなカテゴリーでも、愛されるクラブになっていくべきだ」
青年たちは川崎に生まれ、川崎に愛着を持ち、川崎を良くしていきたい。そんな思いでつながっていた。強いからではなく、この街に必要だから、応援する。やがてフロンターレは「川崎の人たちを元気に、笑顔にするために存在している」とクラブのアイデンティティを確立していく。試合運営や地域貢献活動などを幅広く手伝ってくれるボランティアは、募集1年目の3人から数年で20~30人に増え、やがて400人規模の組織へと成長していった。
スタジアムではブーイングをやめた。
「本当に人気がなかったからです。せめて一見のお客さんや、ちっちゃな子どもたちが楽しく観戦できる雰囲気にしていこうと、応援団のサポーターたちが提案してくれました。ブーイングが鳴り響く、殺伐としたスタジアムなら次はもう来てくれない。親御さんだって、そんなところに自分の可愛い子どもを連れて行こうとは思わないよねって」
【画像】2022 J1リーグ各チームの開幕予想布陣!