サッカーダイジェスト連載『マイノリティレポート』第32回 株式会社YASUDA(代表取締役/佐藤和博) フットサル場でのなにげない会話がきっかけだった
クラウドファンディングで支援者を募り、2018年に復活を遂げたサッカーシューズの名門ブランド「ヤスダ」。看板をYASUDAに変え、伝統を守りながら、新たなステージを見据えている。自己破産によって、一度は消滅した国内ブランドは、いかにして甦ったのか。そして、ユーザーの喜びの声から生まれたビジョンとは――。
――◆――◆――
「君はホントに、なんにも、知らないんだねぇ」
初対面のその場で無知を指摘されても、反論できる余地はどこにもなかった。サッカーシューズがどうやって作られているのか、たしかに言われたとおり、佐藤和博はなにひとつ知らなかったのだ。
でも、知らなかったから、すぐ行動に移せたのかもしれない。学生時代に愛用していたスパイクの国産メーカーが、実は15年前の2002年に自己破産していた。週末に仲間で集まるフットサルの合間の、友人とのなにげない会話をきっかけに、スマホの検索で破産の事実を知った佐藤は、埼玉県戸田市内のフットサル場から、東京都内の自宅に戻る車のなかで、履き心地が格別だった「ヤスダ」のサッカーシューズをもう一度履いてみたい、どこにもないなら自分で復活させようと、あっという間に決めていた。
その日のうちに商標権の持ち主を調べ、思いを綴った手紙をすぐに送った。折り返し電話がかかってきたとき、ヤスダの破産を知った土曜日から、まだ数日しか経っていなかった。
商標権を持っていた齋藤圭太はヤスダの元社員で、ヤスダが作っていたスパイクの熱烈なファンだった。ヤスダの倒産後は創業家から商標を譲り受け、大切な宝物のように守りつづけていたのだった。
クラウドファンディングでヤスダのサッカーシューズを復活させ、「株式会社YASUDA」を立ち上げた佐藤の挑戦は、「君はホントに、なんにも、知らないんだねぇ」と齋藤にあきれられた、17年の秋に始まった。
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「君はホントに、なんにも、知らないんだねぇ」
初対面のその場で無知を指摘されても、反論できる余地はどこにもなかった。サッカーシューズがどうやって作られているのか、たしかに言われたとおり、佐藤和博はなにひとつ知らなかったのだ。
でも、知らなかったから、すぐ行動に移せたのかもしれない。学生時代に愛用していたスパイクの国産メーカーが、実は15年前の2002年に自己破産していた。週末に仲間で集まるフットサルの合間の、友人とのなにげない会話をきっかけに、スマホの検索で破産の事実を知った佐藤は、埼玉県戸田市内のフットサル場から、東京都内の自宅に戻る車のなかで、履き心地が格別だった「ヤスダ」のサッカーシューズをもう一度履いてみたい、どこにもないなら自分で復活させようと、あっという間に決めていた。
その日のうちに商標権の持ち主を調べ、思いを綴った手紙をすぐに送った。折り返し電話がかかってきたとき、ヤスダの破産を知った土曜日から、まだ数日しか経っていなかった。
商標権を持っていた齋藤圭太はヤスダの元社員で、ヤスダが作っていたスパイクの熱烈なファンだった。ヤスダの倒産後は創業家から商標を譲り受け、大切な宝物のように守りつづけていたのだった。
クラウドファンディングでヤスダのサッカーシューズを復活させ、「株式会社YASUDA」を立ち上げた佐藤の挑戦は、「君はホントに、なんにも、知らないんだねぇ」と齋藤にあきれられた、17年の秋に始まった。