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スペイン6部での葛藤、J3制覇、“王者”横浜での苦難…。京都、中川風希の“波乱万丈”物語

カテゴリ:Jリーグ

古沢侑大(サッカーダイジェスト編集部)

2020年06月04日

「(スペインでは)アルバイトで生計を立てていた」

中川(7番)は練習参加を経て、琉球へ加入。18年には主軸としてプレーし、J3優勝&J2昇格に大きく貢献した。写真:田中研治

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――高3次の選手権では埼玉県大会の準決勝で敗れました。夢だった選手権へは出場できず、切り替えに苦労したのでは?
「選手権出場が夢だったので、その後のことは何も考えられなかったです……」

――ただ、大学でもサッカーを続けましたよね。
「なんとか練習参加を経て関東学院大に入れたんですけど、入学してすぐ前十字靭帯を切ってしまって。大学は1年の途中で辞めちゃいました」

――その後、スペインでプレーした経緯を教えてください。
「小さい頃から海外でプレーしてみたいと思っていて。大学を辞めた時、怪我でサッカーのモチベーションは下がっていたんですけど、ちょうど高校の後輩がスペインに行くと言っていているのを聞いて、再びやる気が出ましたね。すぐに留学をサポートしてくれる会社に行きました」

――親の反応は?
「母親には自由にしなさいと言われたんですけど、父親には反対されました。ただ、何度も話し合いをして最終的に僕の意思が固かったので、認めてくれました」
 
――実際にスペインでプレーした感想は?
「最初、練習に参加した時は『想像していたスペインのレベルじゃない』と思いました。もちろんみんなが働きながらサッカーをしていた6部のチームだったということもありますが、技術は僕のほうが高かったです。ただ、いざ試合になると何もできない。身体がでかくてリーチもある。そこで『海外ってこういうことか』と少し楽しくなってきて、いろんな試行錯誤を重ねました」

――具体的には?
「とにかく数字にこだわる。得点を取らないと認められないというか、パスが来ない。だからリターンも来ないんです。そこで個人で打開する力が身に付いたと思います」

――スペインの2年目は5部のチームでプレーしていたとお聞きしました。
「はい。ただ給料は貰えなかったのでアルバイトで生計を立てていました。正直しんどくてスペインでここからお金が貰えるまで上に行くには厳しいなと」

――その後、琉球に加入するきっかけは?
「スペインから帰国する時は日本でプロじゃなくてもいいからサッカーを続けたいと思っていました。ただ、たまたま当時J3の琉球に練習参加できると聞いて、とりあえず行ってみたら、今までにないほど練習で調子が良くて。監督もすごく気に入ってくれて加入に至りました」
 
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