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アマチュアではW杯予選を勝ち抜けない…プロ化を促した85年日韓戦、敗北の真相【名勝負の後日談】

カテゴリ:連載・コラム

加部 究

2020年05月25日

リーグ最高のMFがようやく日本代表として戦える状況に「どうして今なの?」

国立には6万2000人と発表された大観衆が詰めかけた。原博実がゴールを狙う。写真:サッカーダイジェスト

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 しかし現実的に日韓両国では、準備段階で大きな差が生まれていた。韓国では2年前にプロとセミプロ計5チームによるスーパーリーグがスタートしており、85年7月30日には最終予選への進出を決めていた。それに対し日本は2次予選の香港戦を終えたのが9月22日だったから、日本代表を指揮する森孝慈監督も内心では「随分研究して来るんだろうな」と漠たる不安を抱えていた。

 しかも香港戦からの約1か月間で、日本代表の編成は急展開を見せる。発端は香港とのアウェー戦で、それまで予選全6試合にスタメン出場をしていた柱谷幸一が警告を受け、韓国との初戦(ホームゲーム)に出場できなくなったことだった。急浮上したのが、来日12年目で「ミスター読売」のニックネームで親しまれた与那城ジョージとJSL(日本リーグ)得点王の戸塚哲也の招集だった。与那城は一貫してリーグ最高のMFだったが、2月に読売クラブのチーム事情で日本国籍を取得したばかりだった。また戸塚は「自分を曲げてまでプレーするわけにはいかない」と、サッカー観の相違を理由に一度代表を辞退した経緯があった。

 当時の日本代表がアジア予選を勝ち抜くには守備に重きを置くスタイルを徹底するしかなかった。期待を膨らませて臨んだ2年前のロス五輪最終予選では、初戦でタイに完敗(2-5)し、4戦全敗に終わっている。だからこそメキシコ・ワールドカップ予選は、トップ下でゲームを操る木村の後方に宮内聡、西村昭宏と2人のボランチを配し、粘り強く勝ち上がっていった。ところが与那城と戸塚の加入で一気にチームカラーが変わった。明らかに攻撃力が高まり、国内での練習試合でも面白いようにゴールを重ねていく。

 与那城の実力は誰もが認めていた。ただし、だからこそ「ずっと一緒にやりたかった。でもどうして今なの?」と木村を筆頭にチーム内には忸怩たる想いもあった。まだJFAには、代表強化のために日本国籍取得を促すアイデアはなかったのだ。
 
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