「日本人の指導者でと考えたが、上手くハマらなかった」

2017年シーズンはJ1リーグで10位に沈み、国内カップも獲れず無冠に終わった。新政権発足で攻撃的なスタイルを取り戻し、ふたたび黄金期を築けるか。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)
──では9月頃には人選に入っていたと?
「もう少し前ですね。8月中には候補者リストを作って、9月には行動を起こしていましたから」
──新指揮官のリクルーティングはどのように進められたのでしょうか。やはり攻撃的なスタイルへの再転換を図る上で、最適な人物を探した?
「リストの名前を挙げていくなかで、できれば日本人の指導者でと考えたが、上手くハマらなかった。それこそ森保(一/現・U-21日本代表監督)さんもフリーだったし、いろんな選択肢を探りながらでしたね。やはり前提として、攻撃的なサッカーを追求してほしい。それを実現させるために選手を育ててきたし、外からも選手を獲得してきた流れがある。簡単にスタイルと言いますが、指導者によってチーム作りは変わってくる。同じ駒でも指導者によってまったく変わるものです。既存の選手を中心に変えられる監督が最適と考え、最終的にレヴィーにお願いしたわけです」
──ほかに当たってダメだった候補者はいましたか?
「ないですね。レヴィーが優先順位の第1位でしたから。正式なオファーは10月に入ってから出しました。まだサントスで指揮を執っていて、リベルタドーレス杯の出場権を得られる2位か3位に食い込んでいて、チームは好調でした。あちらも契約延長の話をするだろうなと思っていたのですが、残り数試合のところでサンパウロとのアウェー戦で敗れてしまい、途中解約になったんです。どっちに転んでもほぼこちらに、という話ではあったんですけど、あれは少し驚きましたね」
──どうやって口説き落としたのですか?
「我々(ガンバ)はこの2年、タイトルを獲れていない。チームとしても顔ぶれを見ても優勝争いをしなければいけないと思っている。お客さんから見ても魅力を失いつつあるなかで、チームを立て直してもらえないか。といった感じです。やはり隣のクラブで指揮を執っていた方ですから、ガンバに対してはしっかりしたイメージを持っていました。そのうえで、また日本でやりたいという想いを強く感じました。本人はセレッソで長くやっていたし、考えるところは多少なりあったと思うけれども、やはり日本でやり残したことがあると感じていたようです。日本で一度もタイトルを獲れなかったことをすごく悔やんでいて、すごくこだわっている。とくに『Jリーグを獲りたいんだ!』という強い意思が伝わってきましたね。そこで、お互いの考えが一致した。U-23というチームがあり、若手に試合経験を積ませる場を与えたくてJ3に参戦しているんだと説明して、そこもちゃんと賛同してくれましたよ」
「もう少し前ですね。8月中には候補者リストを作って、9月には行動を起こしていましたから」
──新指揮官のリクルーティングはどのように進められたのでしょうか。やはり攻撃的なスタイルへの再転換を図る上で、最適な人物を探した?
「リストの名前を挙げていくなかで、できれば日本人の指導者でと考えたが、上手くハマらなかった。それこそ森保(一/現・U-21日本代表監督)さんもフリーだったし、いろんな選択肢を探りながらでしたね。やはり前提として、攻撃的なサッカーを追求してほしい。それを実現させるために選手を育ててきたし、外からも選手を獲得してきた流れがある。簡単にスタイルと言いますが、指導者によってチーム作りは変わってくる。同じ駒でも指導者によってまったく変わるものです。既存の選手を中心に変えられる監督が最適と考え、最終的にレヴィーにお願いしたわけです」
──ほかに当たってダメだった候補者はいましたか?
「ないですね。レヴィーが優先順位の第1位でしたから。正式なオファーは10月に入ってから出しました。まだサントスで指揮を執っていて、リベルタドーレス杯の出場権を得られる2位か3位に食い込んでいて、チームは好調でした。あちらも契約延長の話をするだろうなと思っていたのですが、残り数試合のところでサンパウロとのアウェー戦で敗れてしまい、途中解約になったんです。どっちに転んでもほぼこちらに、という話ではあったんですけど、あれは少し驚きましたね」
──どうやって口説き落としたのですか?
「我々(ガンバ)はこの2年、タイトルを獲れていない。チームとしても顔ぶれを見ても優勝争いをしなければいけないと思っている。お客さんから見ても魅力を失いつつあるなかで、チームを立て直してもらえないか。といった感じです。やはり隣のクラブで指揮を執っていた方ですから、ガンバに対してはしっかりしたイメージを持っていました。そのうえで、また日本でやりたいという想いを強く感じました。本人はセレッソで長くやっていたし、考えるところは多少なりあったと思うけれども、やはり日本でやり残したことがあると感じていたようです。日本で一度もタイトルを獲れなかったことをすごく悔やんでいて、すごくこだわっている。とくに『Jリーグを獲りたいんだ!』という強い意思が伝わってきましたね。そこで、お互いの考えが一致した。U-23というチームがあり、若手に試合経験を積ませる場を与えたくてJ3に参戦しているんだと説明して、そこもちゃんと賛同してくれましたよ」