金崎が明かす人生を変えた“強行出場”。「気持ちの込もったゴールを奪えて、その後につなげられた」。
ユースチームのスタッフ、スカウト陣、シャムスカ監督が頻繁にコミュニケーションを取り、「『若い選手を、思い切って積極的にトップチームで起用していこう』というクラブの方針を常々確認し合っていた」と、原氏は言う。
「シャムスカはチームの事情を理解し、実際に若手の才能を認めてくれた。大分ユース所属だった周作や福元(現・徳島)、(梅崎)司(現・浦和)、東(現・FC東京)らをキャンプに帯同させていった。
監督とクラブの考え方で合致していたのは、基本的にはどんどん良さを伸ばそうという点。欠点を矯正するということには、あまり重きを置かなかった。その教え方で、本当に良かったのかどうかは一筋縄では語れないところはありますが……」
09年、突如として歯車が狂った。ウェズレイや高松の怪我もあった一方、前年より良い成績を収めるため、「補強」を進めたいシャムスカ監督と「育成主体」で進めたいフロントの間で意見の擦れ違いも生じた。だが09年11月、債務超過が5億8千万円に達し、現金ショートに陥るかもしれないという、経営危機が明るみになったのだった――。
また、08年にナビスコカップのニューヒーロー賞を受賞し、決勝で2アシストを記録した金崎のブレイクには、「運」と「不運」が重なったという。
大分はそのシーズンの目玉として、G大阪から家長昭博をレンタルで獲得していた。しかし開幕直前、右膝の前十字靭帯を断裂する大怪我を負ってしまったのだ。
そこで急遽、開幕からトップ下に抜擢されたのが、金崎だった。すると2節のホーム開幕の柏戦でゴールを奪い、シャムスカ監督の信頼を得ることに成功。その後、ナビスコカップ優勝へと牽引した。
当時のことを金崎は次のように振り返っていた。
「自信がついたのが、ホーム開幕戦(リーグ第2戦)の柏戦で1点を奪えたこと。大きな自信を得られた。僕は家長くんの怪我があったから起用された感じだったので、信頼を得てレギュラーを取りたかった。そのためにも結果を残したい気持ちでやっていた。ただ開幕の清水戦の後に軽い怪我をしてしまい、柏戦前のコンディションは微妙だった。でも、休んだら絶対にチャンスをして逃してしまうと思い、強行出場した。そこで気持ちの込もったゴールを奪えて、その後につなげられた」
金崎にとっては「運」があったと言える。しかし、そのチャンスをしっかりと掴む力—―それも才能と呼べるだろう――を持っていたのもまた紛れもない事実だった。
「シャムスカはチームの事情を理解し、実際に若手の才能を認めてくれた。大分ユース所属だった周作や福元(現・徳島)、(梅崎)司(現・浦和)、東(現・FC東京)らをキャンプに帯同させていった。
監督とクラブの考え方で合致していたのは、基本的にはどんどん良さを伸ばそうという点。欠点を矯正するということには、あまり重きを置かなかった。その教え方で、本当に良かったのかどうかは一筋縄では語れないところはありますが……」
09年、突如として歯車が狂った。ウェズレイや高松の怪我もあった一方、前年より良い成績を収めるため、「補強」を進めたいシャムスカ監督と「育成主体」で進めたいフロントの間で意見の擦れ違いも生じた。だが09年11月、債務超過が5億8千万円に達し、現金ショートに陥るかもしれないという、経営危機が明るみになったのだった――。
また、08年にナビスコカップのニューヒーロー賞を受賞し、決勝で2アシストを記録した金崎のブレイクには、「運」と「不運」が重なったという。
大分はそのシーズンの目玉として、G大阪から家長昭博をレンタルで獲得していた。しかし開幕直前、右膝の前十字靭帯を断裂する大怪我を負ってしまったのだ。
そこで急遽、開幕からトップ下に抜擢されたのが、金崎だった。すると2節のホーム開幕の柏戦でゴールを奪い、シャムスカ監督の信頼を得ることに成功。その後、ナビスコカップ優勝へと牽引した。
当時のことを金崎は次のように振り返っていた。
「自信がついたのが、ホーム開幕戦(リーグ第2戦)の柏戦で1点を奪えたこと。大きな自信を得られた。僕は家長くんの怪我があったから起用された感じだったので、信頼を得てレギュラーを取りたかった。そのためにも結果を残したい気持ちでやっていた。ただ開幕の清水戦の後に軽い怪我をしてしまい、柏戦前のコンディションは微妙だった。でも、休んだら絶対にチャンスをして逃してしまうと思い、強行出場した。そこで気持ちの込もったゴールを奪えて、その後につなげられた」
金崎にとっては「運」があったと言える。しかし、そのチャンスをしっかりと掴む力—―それも才能と呼べるだろう――を持っていたのもまた紛れもない事実だった。