彼の頭にあったのはピッチ全体を俯瞰したような全体図だった。
クライフの考え方は哲学的であり、何よりもシンプルだ。
ある時、アシスタントのレシャックと話していた時の内容が印象的だった。
当時、アトレティコ・マドリーに、マノーロというゴールを量産中のストライカーがいた。クライフはレシャックに尋ねた。
「マノーロの強みは何なのだろう」
レシャックはすぐに答えた。頭の切れる彼は、クライフの最高の相棒だった。
「ディフェンダーのマークを外す動き。これがとても巧みです」
すると、クライフはこう答えた。
「マークを外す動きが武器なのであれば、対処法は簡単だ。マークしなければいい。次の試合、我々はマノーロをマークしない。ずっと自由に、好きにやってもらおう」
そして次節、マノーロには完全な自由が与えられた。彼は自由にボールに触った。バルサの選手は誰も、彼のことを気にしなかった。やがて、フリーでどこにでも行ける不自然な自由は、マノーロにとって苦痛になっていく。
いつも身体を寄せてくるはずのディフェンダーもおらず、やたらボールに触れてしまう。彼はリズムを失い、同時に持ち味は消えた。マノーロは1点も決められず、シーズンで最悪のパフォーマンスを見せたのだった。
「ロジックだよ。実に単純な」
クライフは言った。彼のアイデアは斬新で、天才的で、常に私を驚かせてくれた。
「ドリームチーム」のウイングだったチキ・ベギリスタインが教えてくれたことがある。
ある試合で、彼は90分間を通して試合から消え続けた。酷い試合だった。ボールに触ったのはわずか数度であり、チャンスを作るどころか、プレーに絡むことができなかった。
ベギリスタインは落ち込んでいた。きっとクライフにどやされる――。ピッチを去る時、そんな思いが頭から消えなかったという。
案の定、ロッカールームでクライフは怒鳴り散らした。
しかしそれは、ベギリスタインを除く10選手に対してだった。クライフは、ベギリスタインにだけは、怒らなかったのである。
「チキ、お前は最高のプレーをしてくれた」
キョトンとするベギリスタインに、指揮官は続けた。
「私は試合前、チキにタッチライン際に張り付いていろと指示した。彼は、それを忠実に実行した。しかし、彼がサイドに開いて相手のラインを広げ、スペースを作り出している時に、他の選手はなぜそれを利用しなかったんだ?」
華麗なドリブルや豪快なシュートではない。カンプ・ノウの数百メートル上空からピッチ全体を俯瞰したような全体図が、彼の頭にはあったのだ。
今、彼が残してくれたエピソードの数々を思い出す時、彼の言葉は私の心に悲しみとともに、喜びをもたらしてくれる。彼と過ごした時間は、サッカーに関わるひとりの人間として、何よりも有意義なものだったからだ。
ヨハン・クライフとは、偉大なサッカー選手であるとともに、ひとつの観念でもあった。
彼はこの世を去った今も、人々の心にサッカーとは何なのか、それを教え続けてくれている。
文:ルイス・フェルナンド・ロホ(マルカ紙)
翻訳:豊福 晋
【著者プロフィール】
Luis Fernando ROJO(ルイス・フェルナンド・ロホ)/スペイン最大の発行部数を誇るスポーツ紙『マルカ』でバルセロナ番を20年以上務め、現在は同紙のバルセロナ支局長。ヨハン・クライフら往年の選手とも親交が深く、ジョゼ・モウリーニョとはブライアン・ロブソンの通訳時代から親密な関係を築く。
ある時、アシスタントのレシャックと話していた時の内容が印象的だった。
当時、アトレティコ・マドリーに、マノーロというゴールを量産中のストライカーがいた。クライフはレシャックに尋ねた。
「マノーロの強みは何なのだろう」
レシャックはすぐに答えた。頭の切れる彼は、クライフの最高の相棒だった。
「ディフェンダーのマークを外す動き。これがとても巧みです」
すると、クライフはこう答えた。
「マークを外す動きが武器なのであれば、対処法は簡単だ。マークしなければいい。次の試合、我々はマノーロをマークしない。ずっと自由に、好きにやってもらおう」
そして次節、マノーロには完全な自由が与えられた。彼は自由にボールに触った。バルサの選手は誰も、彼のことを気にしなかった。やがて、フリーでどこにでも行ける不自然な自由は、マノーロにとって苦痛になっていく。
いつも身体を寄せてくるはずのディフェンダーもおらず、やたらボールに触れてしまう。彼はリズムを失い、同時に持ち味は消えた。マノーロは1点も決められず、シーズンで最悪のパフォーマンスを見せたのだった。
「ロジックだよ。実に単純な」
クライフは言った。彼のアイデアは斬新で、天才的で、常に私を驚かせてくれた。
「ドリームチーム」のウイングだったチキ・ベギリスタインが教えてくれたことがある。
ある試合で、彼は90分間を通して試合から消え続けた。酷い試合だった。ボールに触ったのはわずか数度であり、チャンスを作るどころか、プレーに絡むことができなかった。
ベギリスタインは落ち込んでいた。きっとクライフにどやされる――。ピッチを去る時、そんな思いが頭から消えなかったという。
案の定、ロッカールームでクライフは怒鳴り散らした。
しかしそれは、ベギリスタインを除く10選手に対してだった。クライフは、ベギリスタインにだけは、怒らなかったのである。
「チキ、お前は最高のプレーをしてくれた」
キョトンとするベギリスタインに、指揮官は続けた。
「私は試合前、チキにタッチライン際に張り付いていろと指示した。彼は、それを忠実に実行した。しかし、彼がサイドに開いて相手のラインを広げ、スペースを作り出している時に、他の選手はなぜそれを利用しなかったんだ?」
華麗なドリブルや豪快なシュートではない。カンプ・ノウの数百メートル上空からピッチ全体を俯瞰したような全体図が、彼の頭にはあったのだ。
今、彼が残してくれたエピソードの数々を思い出す時、彼の言葉は私の心に悲しみとともに、喜びをもたらしてくれる。彼と過ごした時間は、サッカーに関わるひとりの人間として、何よりも有意義なものだったからだ。
ヨハン・クライフとは、偉大なサッカー選手であるとともに、ひとつの観念でもあった。
彼はこの世を去った今も、人々の心にサッカーとは何なのか、それを教え続けてくれている。
文:ルイス・フェルナンド・ロホ(マルカ紙)
翻訳:豊福 晋
【著者プロフィール】
Luis Fernando ROJO(ルイス・フェルナンド・ロホ)/スペイン最大の発行部数を誇るスポーツ紙『マルカ』でバルセロナ番を20年以上務め、現在は同紙のバルセロナ支局長。ヨハン・クライフら往年の選手とも親交が深く、ジョゼ・モウリーニョとはブライアン・ロブソンの通訳時代から親密な関係を築く。