レジェンドの到来で浮上を始め、いきなり欧州タイトルを獲得。

選手としてバルサの歴史の大きな一部分を築き上げたクライフが、指揮官として帰ってきた。新たな伝説の1ページが始まった。 (C) Getty Images

フリオ・サリーナス、ロペス・レカルテのゴールでサンプドリアを2-0で下し、バルサはカップウィナーズ・カップを獲得した。ちなみに敗れたサンプドリアはこの敗北を悔しがり、選手たちは「欧州タイトルを獲得するまでは誰も移籍しない」と約束し合ったという。そして3年後、再び欧州の大舞台において両者は再会を果たすこととなる。 (C) Getty Images
税金未納問題などに端を発し、選手がジョゼップ・ルイス・ヌニェス会長の退陣を要求する事態にまで発展した前シーズン。呆れたファンの足はスタジアムから遠のくなど、バルサは危機的に状態に陥ったが、ここでヌニェス会長がファンの心を取り戻す決定的な人事を断行する。
前シーズンにテリー・ベナブルスが途中解任され、その後釜をルイス・アラゴネスが務めていた監督の座に、ヨハン・クライフを迎え入れたのだ。
選手として1973年から5シーズンにわたってプレーし、リーガ、国王杯というタイトルをもたらしただけでなく、そのプレーと姿勢でバルセロニスタの心を虜にし、現在にも受け継がれているクラブの哲学を植えつけたレジェンド中のレジェンドの再臨だった。
バルサ到来の前には、古巣アヤックスの指揮を3シーズン執っていたクライフ。ここで2度の国内カップの他、86-87シーズンにカップウィナーズ・カップという欧州タイトルを獲得した彼は、アヤックスの時と同様、バルサにも攻撃サッカーを植えつけようとした。
前述した前シーズンの選手の“反乱”もあって、多くの選手が入れ替わった88-89シーズン。クライフにはチーム作りの時間があまりに少なかったが、夏に多くの実戦練習を採り入れるなどして、少しずつ自らの理想にバルサを近づけようと努めていった。
このシーズン、リーガでは2位。1位はレアル・マドリーで、バルサにとっての最大の宿敵は4連覇を果たした。このことでクライフは批判を受けることにもなったが、彼は代わりに別の大きなタイトルを、さっそくバルサにもたらしている。
89年5月19日、かつてチャンピオンズ・カップ(現リーグ)決勝でベンフィカに敗れ、ここから暗黒の60年代を歩むこととなった因縁の地ベルン(スイス)で、サンプドリアを破ってカップウィナーズ・カップを制したのだ。
81-82シーズン以来の欧州タイトル獲得で、いくらか溜飲を下げたバルセロニスタたち。そしてクライフに率いられたチームがこの先さらに力を上げ、宿敵マドリーをトップの座から引きずり下ろすだけでなく、世界の頂点にまで昇り詰める予感と希望を抱いたのだった。
前シーズンにテリー・ベナブルスが途中解任され、その後釜をルイス・アラゴネスが務めていた監督の座に、ヨハン・クライフを迎え入れたのだ。
選手として1973年から5シーズンにわたってプレーし、リーガ、国王杯というタイトルをもたらしただけでなく、そのプレーと姿勢でバルセロニスタの心を虜にし、現在にも受け継がれているクラブの哲学を植えつけたレジェンド中のレジェンドの再臨だった。
バルサ到来の前には、古巣アヤックスの指揮を3シーズン執っていたクライフ。ここで2度の国内カップの他、86-87シーズンにカップウィナーズ・カップという欧州タイトルを獲得した彼は、アヤックスの時と同様、バルサにも攻撃サッカーを植えつけようとした。
前述した前シーズンの選手の“反乱”もあって、多くの選手が入れ替わった88-89シーズン。クライフにはチーム作りの時間があまりに少なかったが、夏に多くの実戦練習を採り入れるなどして、少しずつ自らの理想にバルサを近づけようと努めていった。
このシーズン、リーガでは2位。1位はレアル・マドリーで、バルサにとっての最大の宿敵は4連覇を果たした。このことでクライフは批判を受けることにもなったが、彼は代わりに別の大きなタイトルを、さっそくバルサにもたらしている。
89年5月19日、かつてチャンピオンズ・カップ(現リーグ)決勝でベンフィカに敗れ、ここから暗黒の60年代を歩むこととなった因縁の地ベルン(スイス)で、サンプドリアを破ってカップウィナーズ・カップを制したのだ。
81-82シーズン以来の欧州タイトル獲得で、いくらか溜飲を下げたバルセロニスタたち。そしてクライフに率いられたチームがこの先さらに力を上げ、宿敵マドリーをトップの座から引きずり下ろすだけでなく、世界の頂点にまで昇り詰める予感と希望を抱いたのだった。

監督:ヨハン・クライフ(オランダ)
その他の主なプレーヤー:GKウンスエ、DFセルナ、ソレール、J・アルベルト、MFアモール、ウルバノ、ロメロ、FWカラスコ、バルベルデ

リネカーはウイングの位置に置かれた。クライフ監督なりの考えがあってのことだったが、CFに慣れ親しんでいた生粋の点取り屋はこれを受け入れられず、このシーズン限りでバルセロニスタに惜しまれながらイングランドに帰って行った。この後、彼はトッテナム、名古屋でプレーした。 (C) Getty Images
◎1988-89シーズン成績
リーガ:2位(23勝11分け4敗・80得点26失点)
国王杯:準々決勝敗退(対アトレティコ・マドリー)
カップウィナーズ・カップ:優勝
チーム内得点ランキング(リーガ):サリーナス(20点)、ベギリスタイン(12点)、ロベルト(11点)、バケーロ(10点)、アモール(8点)、リネカー(6点)、エウセビオ(4点)、バルベルデ(2点)、セルナ(2点)、ソレール(1点)、ロメロ(1点)、カラスコ(1点)、ウルバノ(1点)、アレサンコ(1点)
◎主なトランスファー
◇IN
夏
GKウンスエ(←オサスナ)
DF L・レカルテ(←レアル・ソシエダ)
DFセルナ(←セビージャ)
DFアロイージオ(←インテルナシオナル)
DFソレール(←エスパニョール)
MFバケーロ(←レアル・ソシエダ)
MFエウセビオ(←レアル・ソシエダ)
MFロメロ(←フルミネンセ)
MFミジャ(ユースから昇格)
MFアモール(ユースから昇格)
FWサリーナス(←アトレティコ・マドリー)
FWベギリスタイン(←レアル・ソシエダ)
FWバルベルデ(←エスパニョール)
◇OUT
夏
GKウルティ(引退)
DFモラタージャ(→フィゲレス)
DFミゲリ(引退)
DFジェラルド(→ラス・パルマス)
DFマノーロ(→ムルシア)
DFペドラサ(→マジョルカ)
MFシュスター(→レアル・マドリー)
MF V・ムニョス(→サンプドリア)
MFカルデレ(→ベティス)
FWクロス(→ムルシア)
FWロペス・ロペス(→オビエド)
FWアマリージャ(→オリンピア)
冬
MFナイーム(→トッテナム)
リーガ:2位(23勝11分け4敗・80得点26失点)
国王杯:準々決勝敗退(対アトレティコ・マドリー)
カップウィナーズ・カップ:優勝
チーム内得点ランキング(リーガ):サリーナス(20点)、ベギリスタイン(12点)、ロベルト(11点)、バケーロ(10点)、アモール(8点)、リネカー(6点)、エウセビオ(4点)、バルベルデ(2点)、セルナ(2点)、ソレール(1点)、ロメロ(1点)、カラスコ(1点)、ウルバノ(1点)、アレサンコ(1点)
◎主なトランスファー
◇IN
夏
GKウンスエ(←オサスナ)
DF L・レカルテ(←レアル・ソシエダ)
DFセルナ(←セビージャ)
DFアロイージオ(←インテルナシオナル)
DFソレール(←エスパニョール)
MFバケーロ(←レアル・ソシエダ)
MFエウセビオ(←レアル・ソシエダ)
MFロメロ(←フルミネンセ)
MFミジャ(ユースから昇格)
MFアモール(ユースから昇格)
FWサリーナス(←アトレティコ・マドリー)
FWベギリスタイン(←レアル・ソシエダ)
FWバルベルデ(←エスパニョール)
◇OUT
夏
GKウルティ(引退)
DFモラタージャ(→フィゲレス)
DFミゲリ(引退)
DFジェラルド(→ラス・パルマス)
DFマノーロ(→ムルシア)
DFペドラサ(→マジョルカ)
MFシュスター(→レアル・マドリー)
MF V・ムニョス(→サンプドリア)
MFカルデレ(→ベティス)
FWクロス(→ムルシア)
FWロペス・ロペス(→オビエド)
FWアマリージャ(→オリンピア)
冬
MFナイーム(→トッテナム)