【ビッグクラブの回顧録】“あの時”のバルサを振り返る vol.4~1991-92シーズン ~

カテゴリ:メガクラブ

サッカーダイジェストWeb編集部

2015年11月23日

悲願の欧州初制覇! さらにリーガでは最終節に奇跡の連覇!

劇的なかたちで初の欧州制覇を果たした。ちなみに90年夏、バルサが親善試合で来日した際、クライフは「近いうちに世界一を手にするため日本に戻って来る」と語っていたが、2年後に約束は果たされた。ただし、サンパウロとのトヨタカップでは1-2で敗れている。 (C) Getty Images

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延長後半のクーマンの決勝FK。懸命に手を伸ばすGKジャンルカ・パリュウカだったが、わずかに届かなかった。サンプドリアは全てをこのカップ戦に懸けてきただけに、試合後の失望は大きかった。ここまでチームをリードしてきたジャンルカ・ヴィアッリはこの2日後、ユベントス移籍を発表した。 (C) Getty Images

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 1991年の夏といえば、前シーズンに6年ぶり11回目のリーガ制覇を成し遂げたバルサだけでなく、バルセロナという町自体が、オリンピックを翌年に控え、大いに盛り上がっていた。
 
 ヨハン・クライフの下で「ドリームチーム」の熟成に取りかかった91-92シーズン。最終ラインにミゲル・アンヘル・ナダル、中盤にオランダからリカルト・ヴィチュヘを獲得したバルサの目標は、リーガ連覇、そしてチャンピオズ・カップ(現優勝)優勝だった。
 
 バルサにとって、欧州制覇は悲願でもあった。過去に2度、決勝戦で喫した敗北は、バルセロニスタの記憶になかに耐えがたき悪夢として強く刻まれ続けていた。
 
 宿敵レアル・マドリーの6連覇を阻んだ(1回戦で勝利)までは良かったが、決勝でベンフィカの軍門に降った(2-3の敗北)1960-61シーズン。
 
 同じスペインのセビージャが会場、そして伏兵ステアウア・ブカレストが相手ということで勝利は堅いとされながら、スコアレスでもつれ込んだPK戦で4人全員が失敗して敗北を喫した85-86シーズン……。
 
 そもそも、マドリーの名声を世界的に高めたチャンピオンズ・カップ自体がバルサにとっては、屈辱の象徴だった。マドリー5連覇の原動力となったアルフレッド・ディ・ステファノは、バルサが先に入団交渉を取りまとめにもかかわらず、政府の横やりによってマドリーに強奪されていたのだ。
 
 このようなネガティブな記憶を払拭するための、絶対に負けられない3度目の挑戦にバルサは臨んだ。
 
 翌シーズンよりチャンピオンズ・リーグにその名を変更することになる欧州覇者決定戦は、この91-92シーズンからレギュレーションを変更。1、2回戦は通常のトーナメント方式だが、勝ち抜いた8チームを2グループに分けてのリーグ戦を実施し、首位チーム同士が決勝戦に進出するというものだった。
 
 バルサはハンザ・ロシュトック(合計3-1)、カイザースラウテルン(3-3/アウェーゴール差で勝利)を下してリーグ戦に駒を進め、ここではスパルタ・プラハ、ベンフィカ、ディナモ・キエフに4勝1分け1敗の成績で首位。サンプドリアとの最終決戦に臨む権利を手にした。
 
 70-71シーズンにクライフがアヤックスの一員として初めて欧州王者に輝いた思い出の地であり、縁起の良いスタジアムでもある聖地ウェンブリーでの決勝戦は、バルサが攻め、サンプドリアがカウンターを狙うという展開で進み、結局スコアレスで延長戦に突入する。
 
 チャンスはありながらもゴールを奪えず、PK戦の可能性も出てきた延長後半7分、バルサはエウセビオが相手のファウルを引き出し、ペナルティエリアの中央手前という絶好の位置で間接FKを得た。
 
 軽く流したボールを、パワフルショットを売りとするロナルド・クーマンが右足で叩く。凄まじい勢いを得たボールがライナーでゴール左隅に突き刺さった瞬間、選手、ベンチはもちろん、ウェンブリーに駆けつけた2万5千人のサポーター、そしてバルセロナで見守る市民たちが一斉に歓喜の咆哮を上げた。
 
 悲願達成! クライフの下、確固たる信念と哲学を持って突き進み、産みの苦しみを乗り越えて新たな時代の扉を開いたバルサ。そしてそのことへの褒美なのか、この栄光の約3週間後、彼らはさらなる栄誉に恵まれた。
 
 リーガでは、宿敵マドリーが7節から首位を守り、最終節を前に2位バルサを勝点1リードしていた。最終戦の相手はテネリフェ。監督のホルヘ・バルダーノをはじめ、多くの元マドリー選手を擁していることが話題になり、試合前からマドリー勝利は間違いないといわれていた。
 
 シーズン序盤には13位まで沈みながら、何とか浮上してきたバルサは、カンプノウでアスレティック・ビルバオとの最終戦に臨み、2-0で勝利を飾った。気になるマドリーは前半を終えて2-0でリードしていた。
 
 やはりダメか……。諦めかけたカンプノウの人々たちの元へもたらされたのは、マドリーが守備陣のミス連発でテネリフェに3点を献上したというニュースだった。
 
 奇跡の大逆転でリーガ連覇を達成!! カンプノウだけでなく、バルセロナの町が巨大な祝賀会場と化したことは言うまでもない。1899年の創設以来、このクラブが最も大きな喜びに包まれた時だった。
 
 そしてこの記念すべきシーズンの後、オリンピックが開催。サッカー競技では、地元スペインがカンプノウでの決勝戦でポーランドに劇的な勝利を飾ったことで、三たびバルセロナの町は歓喜に包まれた。

監督:ヨハン・クライフ(オランダ)
その他の主なプレーヤー:GKブスケッツ、DF セルナ、アレサンコ、クリストバル、MF エウセビオ、ヴィチュヘ、FW ゴイコエチェア、サリーナス

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デビュー2年目にしてバルサの中盤には欠かせない存在となったグアルディオラ。シーズン後のオリンピックでは、前評判の決して高くなかったスペインに金メダルをもたらした原動力として、その存在を世界に知られることとなった。 (C) JMPA

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◎1991-92シーズン成績
リーガ:優勝(23勝9分け6敗・87得点37失点)
国王杯:ラウンド16敗退(対バレンシア)
チャンピオンズ・カップ:優勝(対サンプドリア)
 
チーム内得点ランキング(リーガ):ストイチコフ(17点)、クーマン(16点)、ラウドルップ(13点)、バケーロ(11点)、サリーナス(7点)、ベギリスタイン(7点)、アモール(6点)、エウセビオ(4点)、ナダル(4点)、アレサンコ(1点)、フェレール(1点)
 
◎主なトランスファー
◇IN

DF ナダル(←マジョルカ)
DF ファン・カルロス(←アトレティコ・マドリー)
DF クリストバル(←ログロニェス)
MF ヴィチュヘ(←アヤックス)
◇OUT

DF ソレール(→アトレティコ・マドリー)
DF L・レカルテ(→デポルティボ)
DF J・アルベルト(→引退)
MF ウルバノ(→エスパニョール)
FW ピニージャ(→マジョルカ)

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