現時点で最後のEURO――1972年。三たびソ連に敗れて4位。

写真は1969年のハンガリー代表だが、ここから何人かが3年後のEUROでもプレー。アルベルトをはじめ、フェレンツ・ベネ、ラヨス・コチシュ、ペテル・ユハシュ、アンタル・ドゥナイ、サンドール・ザンボといった、多くのタレントを擁していた。 (C) Getty Images
とはいえ、それでもワールドカップでは62チリ大会、66年イングランド大会と連続してベスト8入りし、オリンピックでは64年東京大会、68年メキシコシティ大会と連覇を果たしている(68年に準決勝で日本を5-0で下したのもハンガリーだ)。
そして、わずか4か国が決勝大会に進めるEUROでは、64年スペイン大会(当時はヨーロッパネーションズ・カップ)で3位入賞を果たし、68年イタリア大会では予選準々決勝でソ連に敗れ、あと一歩で4強に残ることはできなかった。
そして72年、西ドイツ(当時)がソ連を一蹴して初戴冠を果たすことになるこの大会で、ハンガリーはまず、ブルガリア、フランス、ノルウェーと同組の予選グループリーグを4勝1分け1敗の首位で通過。準々決勝では再試合の末にルーマニアを下し、開催国ベルギーに駒を進めた。
62年チリ・ワールドカップで得点王に輝き、67年にはハンガリー人で初めて、そして現時点で唯一のバロンドール受賞者であるフロリアン・アルベルトらを擁したハンガリーは、本大会の1回戦、つまり準決勝ではソ連と対戦した。
しかし、政治の世界同様にこの強国には勝てず、60年フランス大会の予選1回戦、前述の68年大会に続き、3度目の敗北。そして3位決定戦ではベルギーに敗れ、4位で大会を終えた。
◎EURO1972年決勝大会
◇準決勝
ハンガリー 0-1 ソ連
◇3位決定戦
ハンガリー 1-2 ベルギー
得点者:ラヨス・キュー
※4位入賞
その後、76年ユーゴスラビア大会では予選グループリーグでウェールズの後塵を拝し、8チームによる決勝大会に規模が拡大した80年イタリア大会では伏兵ギリシャに予選グループ首位(=本大会出場権)を譲り渡してしまった。
以降は予選グループリーグでも下位に沈むことが多く、前回2012年大会ではオランダ、スウェーデンに続く3位で10大会連続の予選敗退を喫していた。
しかし今回、予選期間中にアッティラ・ピンテール→パール・ダルダイ→シュトルクと2度の監督交代を余儀なくされるなど、困難な時期を迎えたものの、これを乗り切って悲願成就、国中に歓喜にもたらした。
さて、EUROでは実に44年ぶりの本大会出場となるわけだが、ハンガリーの場合、メジャーイベントへの出場自体も久々である。EURO以上のビッグイベントであるワールドカップへの最後の出場は1986年メキシコ大会と、こちらも来夏で30年が経つ。
前述した通り、54年スイス大会では準優勝を飾ったハンガリー。もっとも、戦前に優勝候補筆頭に挙げられていたことを考えれば、小さくない失望を伴う結果でもあった。
その後、60年代の2大会でベスト8の成績を残し、70年メキシコ大会、74年西ドイツ大会では予選敗退を喫するも、78年アルゼンチン大会からは3大会連続で本大会進出を決めている。
82年スペイン大会では初戦でエルサルバドル相手に10-1と1試合最多得点を記録(いまだ破られていない)しながらも、ベルギー、アルゼンチンの後塵を拝して2次リーグ進出を逃したハンガリーは、その4年後のメキシコ大会では戦前、かなり高い評価を得ていた。
そして、わずか4か国が決勝大会に進めるEUROでは、64年スペイン大会(当時はヨーロッパネーションズ・カップ)で3位入賞を果たし、68年イタリア大会では予選準々決勝でソ連に敗れ、あと一歩で4強に残ることはできなかった。
そして72年、西ドイツ(当時)がソ連を一蹴して初戴冠を果たすことになるこの大会で、ハンガリーはまず、ブルガリア、フランス、ノルウェーと同組の予選グループリーグを4勝1分け1敗の首位で通過。準々決勝では再試合の末にルーマニアを下し、開催国ベルギーに駒を進めた。
62年チリ・ワールドカップで得点王に輝き、67年にはハンガリー人で初めて、そして現時点で唯一のバロンドール受賞者であるフロリアン・アルベルトらを擁したハンガリーは、本大会の1回戦、つまり準決勝ではソ連と対戦した。
しかし、政治の世界同様にこの強国には勝てず、60年フランス大会の予選1回戦、前述の68年大会に続き、3度目の敗北。そして3位決定戦ではベルギーに敗れ、4位で大会を終えた。
◎EURO1972年決勝大会
◇準決勝
ハンガリー 0-1 ソ連
◇3位決定戦
ハンガリー 1-2 ベルギー
得点者:ラヨス・キュー
※4位入賞
その後、76年ユーゴスラビア大会では予選グループリーグでウェールズの後塵を拝し、8チームによる決勝大会に規模が拡大した80年イタリア大会では伏兵ギリシャに予選グループ首位(=本大会出場権)を譲り渡してしまった。
以降は予選グループリーグでも下位に沈むことが多く、前回2012年大会ではオランダ、スウェーデンに続く3位で10大会連続の予選敗退を喫していた。
しかし今回、予選期間中にアッティラ・ピンテール→パール・ダルダイ→シュトルクと2度の監督交代を余儀なくされるなど、困難な時期を迎えたものの、これを乗り切って悲願成就、国中に歓喜にもたらした。
さて、EUROでは実に44年ぶりの本大会出場となるわけだが、ハンガリーの場合、メジャーイベントへの出場自体も久々である。EURO以上のビッグイベントであるワールドカップへの最後の出場は1986年メキシコ大会と、こちらも来夏で30年が経つ。
前述した通り、54年スイス大会では準優勝を飾ったハンガリー。もっとも、戦前に優勝候補筆頭に挙げられていたことを考えれば、小さくない失望を伴う結果でもあった。
その後、60年代の2大会でベスト8の成績を残し、70年メキシコ大会、74年西ドイツ大会では予選敗退を喫するも、78年アルゼンチン大会からは3大会連続で本大会進出を決めている。
82年スペイン大会では初戦でエルサルバドル相手に10-1と1試合最多得点を記録(いまだ破られていない)しながらも、ベルギー、アルゼンチンの後塵を拝して2次リーグ進出を逃したハンガリーは、その4年後のメキシコ大会では戦前、かなり高い評価を得ていた。