頼みの宇佐美も守備に奔走する中で消えていった。
理に適った試合運びを見せた鹿島とは違い、G大阪は最後まで何をしたいのかよくわからなかった。
鹿島のサイドアタックにいいようにやられ、頼みの宇佐美も守備に奔走する中で消えていった。攻撃的な4-2-3-1は、気づけば間延びした5-3-1に。攻めては単発のカウンターくらいしかなく、選手交代もほとんど役に立たなかった。
G大阪の問題は、ゲームプランの中に敵がいないということだ。
鹿島の遠藤、G大阪の宇佐美がいる左サイドが焦点となるのは、戦前から予想されたこと。それなら遠藤を厳しくマークする、もしくは宇佐美にボールを集めて敵を引かせるといった姿勢を見せてもいいはずだが、何の対策も施さず、鹿島のサイドアタックにさらされる羽目になった。
G大阪は昨年の3冠チーム。だが、決して試合運びは上手くなく、宇佐美、パトリック、遠藤、今野といった個人の力でタイトルをつかんだようなところがある。Jリーグのチームは試合をまとめることが下手なので、最後はタレントの力がモノを言うことになるからだ。終盤の大一番、浦和戦も敵が自滅したようなところがあった。
私はG大阪の完敗は、戦術や駆け引きの敗北だと考えている。だが、長谷川監督は違った。試合後の記者会見で、彼は次のように語った。
「勝てるだろうという慢心が少しあったかもしれない。ざっくり言えば、鹿島の勝ちたいという気持ちが我々を凌駕したのではないか」
これ、ざっくり言い過ぎ。
長谷川監督は続けて判定や球際について、また重要な試合が続くことの難しさについても言及したが、メンタル面を大きな敗因として挙げていた。
日本のサッカーは、どうしてこうなってしまうのだろう。
昨年のJ1昇格プレーオフで敗れた千葉の関塚監督もそうだったが、負けたチームはすぐに気持ちで負けたと言って敗戦を片付ける。情緒に流されるのはメディアも同じだから、私も偉そうなことは言えないが、ピッチ上に明らかな問題があり、それを放置して負けて「気持ちで負けた」というのは釈然としない。
勝てば諦めない気持ち、ブレない気持ちがあったから勝った、負ければ気持ちで負けた――。
こんな定型文の中でサッカーをしていたら、いつまで経っても日本のサッカーは強くならないと思うのだ。
取材・文:熊崎敬
鹿島のサイドアタックにいいようにやられ、頼みの宇佐美も守備に奔走する中で消えていった。攻撃的な4-2-3-1は、気づけば間延びした5-3-1に。攻めては単発のカウンターくらいしかなく、選手交代もほとんど役に立たなかった。
G大阪の問題は、ゲームプランの中に敵がいないということだ。
鹿島の遠藤、G大阪の宇佐美がいる左サイドが焦点となるのは、戦前から予想されたこと。それなら遠藤を厳しくマークする、もしくは宇佐美にボールを集めて敵を引かせるといった姿勢を見せてもいいはずだが、何の対策も施さず、鹿島のサイドアタックにさらされる羽目になった。
G大阪は昨年の3冠チーム。だが、決して試合運びは上手くなく、宇佐美、パトリック、遠藤、今野といった個人の力でタイトルをつかんだようなところがある。Jリーグのチームは試合をまとめることが下手なので、最後はタレントの力がモノを言うことになるからだ。終盤の大一番、浦和戦も敵が自滅したようなところがあった。
私はG大阪の完敗は、戦術や駆け引きの敗北だと考えている。だが、長谷川監督は違った。試合後の記者会見で、彼は次のように語った。
「勝てるだろうという慢心が少しあったかもしれない。ざっくり言えば、鹿島の勝ちたいという気持ちが我々を凌駕したのではないか」
これ、ざっくり言い過ぎ。
長谷川監督は続けて判定や球際について、また重要な試合が続くことの難しさについても言及したが、メンタル面を大きな敗因として挙げていた。
日本のサッカーは、どうしてこうなってしまうのだろう。
昨年のJ1昇格プレーオフで敗れた千葉の関塚監督もそうだったが、負けたチームはすぐに気持ちで負けたと言って敗戦を片付ける。情緒に流されるのはメディアも同じだから、私も偉そうなことは言えないが、ピッチ上に明らかな問題があり、それを放置して負けて「気持ちで負けた」というのは釈然としない。
勝てば諦めない気持ち、ブレない気持ちがあったから勝った、負ければ気持ちで負けた――。
こんな定型文の中でサッカーをしていたら、いつまで経っても日本のサッカーは強くならないと思うのだ。
取材・文:熊崎敬