大阪のクラブチームに通った6年間。中学時代の憧れは…
滋賀県野洲市出身の中島は、地元の野洲ジュニアフットボールクラブで男子とともにサッカーを始めた。中学入学とともに、大阪の女子チームであるラガッツァFC高槻に所属。高校までの6年間、地元から大阪の練習場を往復する日々を過ごした。ここで「めちゃくちゃ憧れていた」という先輩と出会い、レベルの高いサッカーにも触れることができたという。そして、INAC神戸レオネッサへの加入が、中島に世界を意識させていく。
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小学校4年から野洲のクラブチームでプレーして、中学に上がる段階で女子サッカーのチームに入りました。滋賀県内にも女子チームはあったのですが、大阪のほうがレベルは高いと言われたので、中学・高校と6年間通い続けました。
所属したラガッツァは高槻にあって新快速で1本だったので、わりと行きやすかったんですが、チームが変更になってからは(※中学3年次にラガッツァFC高槻からFCヴィトーリアとして独立)、練習場所が点々として、移動の部分ではちょっと大変な面もありましたね。乗り換えの駅が離れていたり、駅近くの駐輪場を契約して自転車で練習場まで通ったりもしたので(笑)。
ただ、大阪と滋賀ではレベルが全然違いましたし、むしろ大阪のチームに行って良かったなと今は思っていて。そこでいま大宮アルディージャVENTUSに所属している阪口夢穂選手もいたんです。私の3つ上でみんなの憧れだったと思うし、個人的にもすごく大好きな先輩でした。一緒のチームでプレーすることはなかったんですが、選手としてはかなり影響を受けましたし、そういう人との出会いも大阪に行かなかったら、なかったと思います。代表に入って、また夢穂ちゃんと同じチームでプレーできたのは本当に嬉しかったですね。
高校卒業後、INACに入れたこともサッカーキャリアの中で大きな転機だったと思います。たぶん、INACに入っていなければ代表にも入れていなかったんじゃないかなと思うくらい。さっき言った「バイタルエリア」への意識も、ここで世界レベルの選手、なでしこで戦っている選手とプレーする中で、自然と高まったという感じです。
だから、私は本当に恵まれていると思う。そういう選手たちとプレーしたいと思ってもなかなかできないじゃないですか。先ほど名前を挙げた澤さんはもちろん、近賀選手や大野選手、川澄選手と、多くの凄い選手たちとやれたのは本当に良かった。だからこそ、私もここまで来ることができたと思いますし、良いお手本の人がいるからこそ成長できるというのは、肌で感じましたね。
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小学校4年から野洲のクラブチームでプレーして、中学に上がる段階で女子サッカーのチームに入りました。滋賀県内にも女子チームはあったのですが、大阪のほうがレベルは高いと言われたので、中学・高校と6年間通い続けました。
所属したラガッツァは高槻にあって新快速で1本だったので、わりと行きやすかったんですが、チームが変更になってからは(※中学3年次にラガッツァFC高槻からFCヴィトーリアとして独立)、練習場所が点々として、移動の部分ではちょっと大変な面もありましたね。乗り換えの駅が離れていたり、駅近くの駐輪場を契約して自転車で練習場まで通ったりもしたので(笑)。
ただ、大阪と滋賀ではレベルが全然違いましたし、むしろ大阪のチームに行って良かったなと今は思っていて。そこでいま大宮アルディージャVENTUSに所属している阪口夢穂選手もいたんです。私の3つ上でみんなの憧れだったと思うし、個人的にもすごく大好きな先輩でした。一緒のチームでプレーすることはなかったんですが、選手としてはかなり影響を受けましたし、そういう人との出会いも大阪に行かなかったら、なかったと思います。代表に入って、また夢穂ちゃんと同じチームでプレーできたのは本当に嬉しかったですね。
高校卒業後、INACに入れたこともサッカーキャリアの中で大きな転機だったと思います。たぶん、INACに入っていなければ代表にも入れていなかったんじゃないかなと思うくらい。さっき言った「バイタルエリア」への意識も、ここで世界レベルの選手、なでしこで戦っている選手とプレーする中で、自然と高まったという感じです。
だから、私は本当に恵まれていると思う。そういう選手たちとプレーしたいと思ってもなかなかできないじゃないですか。先ほど名前を挙げた澤さんはもちろん、近賀選手や大野選手、川澄選手と、多くの凄い選手たちとやれたのは本当に良かった。だからこそ、私もここまで来ることができたと思いますし、良いお手本の人がいるからこそ成長できるというのは、肌で感じましたね。