セリエBとAで連続得点王を獲得するも八百長疑惑をかけられ暗転…
天国と地獄を短期間で往復するジェットコースターのような現役生活だった。実際パオロ・ロッシは、1982年スペイン・ワールドカップ、運命のブラジル戦を振り返って語っていた。
「あの瞬間に悪夢のような日々が終わった。当時私に対する誹謗中傷は絶えることがなく、真剣に引退を考えたこともある。だがそういう諸々の想いが1試合で帳消しになった。試合前に国家の恥とまで言われていた選手が、いきなり国家の英雄と崇められるようになったんだ」
その4年前のアルゼンチン・ワールドカップで、ロッシは前途洋々たる未来を世界に提示した。当時21歳、ヴィチェンツァでセリエBとA、異なるカテゴリーで連続得点王に輝いてイタリア代表入りを果たし、王様ペレには「最も嘱望される若手」と称賛された。だがそれから2年後、八百長疑惑がかけられ3年間の出場停止処分が下り、一気に暗転する。
ロッシ不在のイタリア代表は80年地元開催のユーロで決勝進出を逃し、さらに2年後のワールドカップが迫って来ても成績は低迷。批判の矢面に立たされたのが、チームを指揮するエンツォ・ベアルゾット監督と、出場停止処分が1年間軽減されて代表復帰を果たしたロッシだった。指揮官は述懐している。
「出場停止処分が解けたばかりのロッシを起用したことで、メディアは容赦のない批判を浴びせて来た。辞任を求める国家的キャンペーンが繰り広げられたほどだった」
「あの瞬間に悪夢のような日々が終わった。当時私に対する誹謗中傷は絶えることがなく、真剣に引退を考えたこともある。だがそういう諸々の想いが1試合で帳消しになった。試合前に国家の恥とまで言われていた選手が、いきなり国家の英雄と崇められるようになったんだ」
その4年前のアルゼンチン・ワールドカップで、ロッシは前途洋々たる未来を世界に提示した。当時21歳、ヴィチェンツァでセリエBとA、異なるカテゴリーで連続得点王に輝いてイタリア代表入りを果たし、王様ペレには「最も嘱望される若手」と称賛された。だがそれから2年後、八百長疑惑がかけられ3年間の出場停止処分が下り、一気に暗転する。
ロッシ不在のイタリア代表は80年地元開催のユーロで決勝進出を逃し、さらに2年後のワールドカップが迫って来ても成績は低迷。批判の矢面に立たされたのが、チームを指揮するエンツォ・ベアルゾット監督と、出場停止処分が1年間軽減されて代表復帰を果たしたロッシだった。指揮官は述懐している。
「出場停止処分が解けたばかりのロッシを起用したことで、メディアは容赦のない批判を浴びせて来た。辞任を求める国家的キャンペーンが繰り広げられたほどだった」