育成改革が完全に停滞したままで…。
ロシア・ワールドカップ予選のプレーオフ敗退の直接的な原因が、ジャン・ピエロ・ヴェントゥーラ監督の力量不足にあったことは、前編で見た通り。しかしもちろん、この10年のイタリア・サッカーの凋落をそれだけで説明することは不可能だ。
すべてのベースにあるのは、イタリアが輩出するプレーヤーの絶対的なレベルが低下しているという事実だ。1990年代から2000年代にかけてイタリア代表のレギュラーといえば、大半のポジションに世界のトップ10に入る顔ぶれが揃っていた。
GKならばジャンルカ・パリュウカ、アンジェロ・ペルッツィ、フランチェスコ・トルド、ジャンルイジ・ブッフォン、DFならジュゼッペ・ベルゴミ、フランコ・バレージ、パオロ・マルディーニ、アレッサンドロ・コスタクルタ、ファビオ・カンナバーロ、アレッサンドロ・ネスタ、ジャンルカ・ザンブロッタ、MFならディノ・バッジョ、デメトリオ・アルベルティーニ、ジェンナーロ・ガットゥーゾ、アンドレア・ピルロ、FWはロベルト・バッジョ、ジャンフランコ・ゾーラ、クリスティアン・ヴィエリ、フィリッポ・インザーギ、アレッサンドロ・デル・ピエロ、フランチェスコ・トッティ、ルカ・トーニまで。彼らの多くは1994年W杯とEURO2000の準優勝、2006年W杯の優勝などに貢献した。しかし、1960~70年代生まれの彼らに続く80年代以降生まれの世代に、ワールドクラスと呼べるプレーヤーは極めて少ない。
これは、ひとことで言えばイタリアの育成システムが機能しなくなってきたことを意味している。かつてフランス、ドイツ、イングランドといった他のサッカー大国も同じ問題に直面したが、国立アカデミーINFの設立とクラブレベルでのアカデミー投資(フランス)、地域トレセンの充実によるタレント発掘と育成(ドイツ)、育成メソッドの見直し(イングランド)など、国を挙げての育成システム改革を通じて、低迷からの脱却を果たした。しかしイタリアでは、この種の取り組みが完全に停滞したままだ。
すべてのベースにあるのは、イタリアが輩出するプレーヤーの絶対的なレベルが低下しているという事実だ。1990年代から2000年代にかけてイタリア代表のレギュラーといえば、大半のポジションに世界のトップ10に入る顔ぶれが揃っていた。
GKならばジャンルカ・パリュウカ、アンジェロ・ペルッツィ、フランチェスコ・トルド、ジャンルイジ・ブッフォン、DFならジュゼッペ・ベルゴミ、フランコ・バレージ、パオロ・マルディーニ、アレッサンドロ・コスタクルタ、ファビオ・カンナバーロ、アレッサンドロ・ネスタ、ジャンルカ・ザンブロッタ、MFならディノ・バッジョ、デメトリオ・アルベルティーニ、ジェンナーロ・ガットゥーゾ、アンドレア・ピルロ、FWはロベルト・バッジョ、ジャンフランコ・ゾーラ、クリスティアン・ヴィエリ、フィリッポ・インザーギ、アレッサンドロ・デル・ピエロ、フランチェスコ・トッティ、ルカ・トーニまで。彼らの多くは1994年W杯とEURO2000の準優勝、2006年W杯の優勝などに貢献した。しかし、1960~70年代生まれの彼らに続く80年代以降生まれの世代に、ワールドクラスと呼べるプレーヤーは極めて少ない。
これは、ひとことで言えばイタリアの育成システムが機能しなくなってきたことを意味している。かつてフランス、ドイツ、イングランドといった他のサッカー大国も同じ問題に直面したが、国立アカデミーINFの設立とクラブレベルでのアカデミー投資(フランス)、地域トレセンの充実によるタレント発掘と育成(ドイツ)、育成メソッドの見直し(イングランド)など、国を挙げての育成システム改革を通じて、低迷からの脱却を果たした。しかしイタリアでは、この種の取り組みが完全に停滞したままだ。