• トップ
  • ニュース一覧
  • 【名選手・誕生秘話】青山敏弘を"救った"ミシャとの出会い。「僕の悔しさを察して…」と明かす恩師とのエピソードとは?

【名選手・誕生秘話】青山敏弘を"救った"ミシャとの出会い。「僕の悔しさを察して…」と明かす恩師とのエピソードとは?

カテゴリ:Jリーグ

飯尾篤史

2017年02月23日

「誰からも見向きもされなかった僕を、ミシャが見つけてくれた」

分岐点は2006年シーズン。夏以降に出番が急増し、プロ入り以降、一度もピッチに立てなかったリーグ戦で、19試合に出場した。写真:田川秀之

画像を見る

 誰の人生にも、ターニングポイントと呼べる出来事があるものだ。
 
 もし、あの時、違う道へと進んでいたら、もし、あの人と出会えていなかったら……。その後の人生は今とはまるで違うものになっていたに違いない。
 
 青山敏弘にもキャリアにおける分岐点がある。
 
 2006年の夏、オーストリアからやって来たばかりの、情熱をほとばしらせる指揮官によって、青山はスポットライトの当たる表舞台へと引き上げられた。
 
「誰からも見向きもされなかった僕を、ミシャが見つけてくれたんです。プロとして初めて認められたんだって思うと、とにかく嬉しかった」
 
 ドイツ・ワールドカップによるJ1リーグの中断期間に、青山のプロサッカー人生は大きく動き出す。
 
 サンフレッチェ広島がシーズン半ばに「ミシャ」ことミハイロ・ペトロヴィッチを新監督として招き入れた時、プロ3年目を迎えた青山の公式戦出場は、新人だった2004年シーズンに記録したカップ戦1試合にとどまっていた。
 
 2004年9月に右腓骨を骨折し、2005年5月に左膝十字靭帯を断裂した青山は、同期や後輩が次々とデビューするのを尻目に、ベンチ入りするのがやっとだった。
 
「一流として期待されて入ったわけではないですし、試合にもまったく出られない。2年続けて怪我もして、今年ダメだったら来年はアウトかもしれないって、不安でいっぱいでした」
 
 実績もない。経験も、自信もない。
 
 だが、青山には覚悟があった。
 
「でも、それならそれでしょうがない。すべてを出して、悔いを残さないようにやりきろうって。その覚悟だけは持っていたと思います」
 
 海外から来た指導者は、実績にとらわれず自分の目を信じて選手を起用する傾向がある。チーム再建を託されて途中就任した新監督なら、なおさらだ。
 
 ペトロヴィッチはリーグ戦未出場の青年に眠る才能をすぐに見出した。あるいは、その青年から並々ならぬ覚悟を感じ取ったのかもしれない。
 
 サブ組だった青山をAチームに引き上げると、戸田和幸と森﨑和幸を中盤の底から最終ラインに移して、青山をボランチに抜擢するのだ。
 
 青山も、指揮官の志向する攻撃的なサッカーと自身のスタイルが合うことに、すぐに気づいた。
 
「手応えを感じましたね。もしかするとチャンスが来るかもしれない、チャンスが来たらやれるんじゃないかって。とにかく再開が楽しみだった」
【関連記事】
「いつか浩司さんのような選手に」同じ想いを持つ青山と柏木は去りゆく男の苦闘と凄みに何を感じたか
けやき坂46・影山優佳さんが「サッカー愛」、独自の「サンフレッチェ歴代ベスト11」を語る!
泣くことすらできない病… 森﨑浩司の凄絶なサッカー人生に恩師ミシャはどう寄り添ったのか?
【セルジオ越後の天国と地獄】「最優秀選手」や「ベストイレブン」の12人について個別に言及。「青山の最優秀選手賞は、キャプテンが大好きな国“日本”を象徴していたよ」
【Jアウォーズ】ベストイレブン受賞選手のコメント集! 青山「母の言葉が支えになりました」
【Jリーグ都道府県別選手数ランキング】1位東京は全1558人の約1割。“王国”静岡は沼津が入会するも…

サッカーダイジェストTV

詳細を見る

 動画をもっと見る

Facebookでコメント

サッカーダイジェストの最新号

  • 週刊サッカーダイジェスト なでしこJに続け!
    4月10日発売
    U-23日本代表
    パリ五輪最終予選
    展望&ガイド
    熾烈なバトルを総力特集
    詳細はこちら

  • ワールドサッカーダイジェスト 世界各国の超逸材を紹介!
    4月18日発売
    母国をさらなる高みに導く
    「新・黄金世代」大研究
    列強国も中小国も
    世界の才能を徹底網羅!!
    詳細はこちら

  • 高校サッカーダイジェスト 高校サッカーダイジェストVo.40
    1月12日発売
    第102回全国高校選手権
    決戦速報号
    青森山田が4度目V
    全47試合を完全レポート
    詳細はこちら

>>広告掲載のお問合せ

ページトップへ