数多の日本代表戦士を育てた80歳・名伯楽は、なぜ母校の浦和高校に舞い戻ったのか

カテゴリ:高校・ユース・その他

河野 正

2021年10月04日

「一番大切なことは、学ぶために最適な環境を提供することです」

筑波大を強豪校に押し上げた松本氏(左)。今年から週2回、浦和高校で指導にあたっている。写真:河野正

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「私が在学していた当時、イチョウの木はいまとは反対側に植えてあり、シュート板は現在の部室の前に設置されていたんですよ」

 埼玉県立浦和高校サッカー部OBで、筑波大学名誉教授の松本光弘さんは、母校のグラウンドを見渡しながら、懐かしそうに往時の風景を説明した。

 同校サッカー部の歴史は輝かしい。学制改革で浦和中学から浦和高校となり、名称が全国高校蹴球選手権に変わった1948年度の第27回大会に埼玉県勢として初出場。第30回大会で初優勝を遂げ、第33、34回大会では連覇を達成した。2年生の松本さんは第37回大会にサイドバックで出場したが、初戦の2回戦で島原商(長崎)に1-2で屈した。

 犬飼基昭・元日本サッカー協会会長、村井満・現Jリーグチェアマンは著名なOBだが、ほかにもサッカー界に貢献した卒業生は大勢いる。柴田宗宏氏は読売クラブ(現東京ヴェルディ)創設に尽力したひとりで、70年代は7人だけだった日本人国際審判員のうち、OBの浅見俊雄、倉持守三郎、藤井泰光の3氏が同時期に担当していたこともあった。
 
 松本さんがそんな母校の指導を始めたのが昨年12月22日だ。昨秋、同級生との懇親会がきっかけで実現したのだが、「選手を教えるだけではなく、指導者に学んでもらう研修の場にもしたかったのが本意です」と説明する。浦和高校と東京教育大(現筑波大)で松本さんの2つ後輩、元埼玉県サッカー協会副会長の星野隆之さんは「これまでの指導歴、研究歴は出色です。必ずチーム全般のためになると思い、監督との橋渡しをしました」と述べる。

 東京教育大蹴球部コーチや福島大サッカー部監督を経て、78年に監督として筑波大に戻った松本さんは、風間八宏や長谷川健太、井原正巳や中山雅史ら無数の名選手を育て上げた。浦和南が全国高校選手権を制した陣容からは田嶋幸三、森田洋正、野崎正治を指導した。

「一番大切なことは、学ぶために最適な環境を提供することです。選手に原理原則を与えて変化が出てきたら、指導者はさらに踏み込んだアプローチをしないといけません。指導とはこういうものだと思います」

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