【ルーツ探訪】テネリフェ移籍が決定した柴崎岳が貫く“ぶれない信念”の原点とは

カテゴリ:日本代表

安藤隆人

2017年02月01日

堂々たるプレーを見せた中学3年での“高校デビュー”。

順調に成長を遂げた柴崎は、高校2年時にU-17ワールドカップに出場。ネイマール擁するブラジルとも戦っている。(C) Getty Images

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 チームメイトに恵まれた柴崎は、青森山田中で実力をメキメキと伸ばしていった。2年生の頃には、すでにチームの大黒柱として活躍。その年の全国中学校サッカー大会では、準決勝で日章学園中に敗退したものの3位という好成績を収めた。しかし、ここでも負けず嫌いの虫が騒ぎ出す。3位の表彰式の列に柴崎の姿がなかったのだ。
 
 黒田監督は当時を振り返り、こう証言する。
「気付いたらいなくなっていた。スタッフで手分けして岳を探しに行ったら、スタジアムの隅っこの階段の下で、膝を抱えて泣いていた」
 
 こうしたケースは、一度だけではなかった。小学生の頃と同じく、試合に負けると輪から外れて、誰もいないところで泣いていたという。
 
 そんな柴崎に転機が訪れたのは、中学3年に進級する春だった。別格のプレーを見せていた実績を買われ、飛び級で高校のチームに参加するようになったのである。
 
 2007年3月。全国の強豪校、強豪Jクラブユースが集結するマリノスタウンカップ(現F・マリノスカップ)が、中学生だった柴崎の“高校デビュー”戦だ。
 
「今日は期待の中学生を連れてきているから、このチームでどう機能するか楽しみだよ」
 当時の黒田監督はそう語っていたが、この大会で青森山田高のスタメンとしてプレーした柴崎は、強豪相手に、そして年上のチームメイトを相手にまったく遠慮せず、ボランチとして堂々たる存在感を見せた。そのプレーの精度はもちろん、落ち着き払った佇まいは衝撃的だった。
 
「年齢は関係ないと思っています。僕は一番年下ですが、サッカーなのでやることは変わらないし、こうして巧い人たちとできるので、チャンスだと思っています」
 
 これは、当時の柴崎の言葉だ。プレーもさることながら、言動にもまったく臆するところがない。初めて彼のプレーを目にした者は、おそらく彼が中学2年生だったとは気づかなかっただろう。
 
 その後、中学の最終学年を迎えてからも、高校のレギュラーとしてプリンスリーグ東北、全日本ユースで活躍する。U-15日本代表にも選出され、柴崎と同じく中3の時から飛び級でG大阪ユースのレギュラーとしてプリンスリーグ関西や全日本ユースで活躍していた宇佐美貴史といったライバルたちと切磋琢磨し、メキメキと実力を伸ばしていった。
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