みんなの前で恥をかいても「頑張らないとって」
――高校卒業後は湘南に加入し、プロとしての道を歩み始めます。選択肢は他にもあったと思いますが、なぜ湘南に?
「湘南に練習参加させてもらったのはたしか3日ぐらいで、めちゃくちゃ走るチームなのは分かっていましたけど、想像以上でした(笑)。球際も激しくて、これは凄いぞと。そして(監督の)曺(貴裁)さんの存在感も凄かった。このチームに入りたいと思ったし、湘南のほうからも声をかけてもらって、という形でしたね」
――湘南のチームカラーに魅了された?
「練習でのエネルギーが……なんて言ったらいいんだろう、練習の時の必死さが全然違うんですよ。ここでなら、ずっとボールを蹴れるし、本当に必死にやらないといけないチームだなと思いました」
――曺監督の“熱血指導”でも鍛えられたのでは? 言葉に力のある指導者で、神谷選手も“金言”をたくさん言われたのでは?
「いろいろ言われてすぎて、もう分からないです(笑)。ただ全部の言葉が、心を閉じていても入ってくる。いっぱいありすぎて、挙げたらキリがないです」
――曺監督の言葉は、心にダイレクトに突き刺さってくる、とよく聞きます。
「ある試合で全然プレーが良くなくて、次の週のミーティングで、僕がミスしたプレー映像を流しながら怒られたんです。だけど、その怒られ方が、別に嫌じゃないんですよ。みんなの前で恥をさらして、恥ずかしいけど、頑張らないとって気持ちにさせてくれる」
「湘南に練習参加させてもらったのはたしか3日ぐらいで、めちゃくちゃ走るチームなのは分かっていましたけど、想像以上でした(笑)。球際も激しくて、これは凄いぞと。そして(監督の)曺(貴裁)さんの存在感も凄かった。このチームに入りたいと思ったし、湘南のほうからも声をかけてもらって、という形でしたね」
――湘南のチームカラーに魅了された?
「練習でのエネルギーが……なんて言ったらいいんだろう、練習の時の必死さが全然違うんですよ。ここでなら、ずっとボールを蹴れるし、本当に必死にやらないといけないチームだなと思いました」
――曺監督の“熱血指導”でも鍛えられたのでは? 言葉に力のある指導者で、神谷選手も“金言”をたくさん言われたのでは?
「いろいろ言われてすぎて、もう分からないです(笑)。ただ全部の言葉が、心を閉じていても入ってくる。いっぱいありすぎて、挙げたらキリがないです」
――曺監督の言葉は、心にダイレクトに突き刺さってくる、とよく聞きます。
「ある試合で全然プレーが良くなくて、次の週のミーティングで、僕がミスしたプレー映像を流しながら怒られたんです。だけど、その怒られ方が、別に嫌じゃないんですよ。みんなの前で恥をさらして、恥ずかしいけど、頑張らないとって気持ちにさせてくれる」
――冗談っぽく、というわけではない?
「いやもう本気なんです。ひとりの選手に対して、曺さんは本気で怒ってくれる。たぶん、プロでそんなに本気で怒ってくれる監督は、世界中どこを探しても、曺さん以外にいないと思うんです。僕が19歳とか20歳の時で、そんな若手に対して、本気で怒ってくれることが多かったですね」
――曺監督以外の指導者から言われた言葉で、印象に残っているものは?
「良い指導者にしか出会ったことがないので、なかなか選べないですけど、ひとつは、青森山田時代の正木コーチに言われた『お前がエースなんだぞ、お前が点を取らないと』です。シンプルな言葉ですけど、改めて必死にやらなければと思いました」
――エースとしての自覚を再認識させられた?
「そうですね。あと、3年の時にインターハイの初戦で負けた時には、黒田監督に『仲間をもっと信頼しろ』と言われました。この言葉も印象に残っていますね」
───◆───◆───
当時は珍しかったJクラブのユースから高校サッカー界への“移籍”。ただ、全国屈指の名門である青森山田高で、サッカー選手としても、ひとりの人間としても、大きく成長することができた。
8月1日にお届けする後編では、湘南から愛媛へのレンタル移籍を決断した理由、世界との差を埋めるためにはどうすればいいか、同世代のライバルたちへの想いなどをお届けする。
「いやもう本気なんです。ひとりの選手に対して、曺さんは本気で怒ってくれる。たぶん、プロでそんなに本気で怒ってくれる監督は、世界中どこを探しても、曺さん以外にいないと思うんです。僕が19歳とか20歳の時で、そんな若手に対して、本気で怒ってくれることが多かったですね」
――曺監督以外の指導者から言われた言葉で、印象に残っているものは?
「良い指導者にしか出会ったことがないので、なかなか選べないですけど、ひとつは、青森山田時代の正木コーチに言われた『お前がエースなんだぞ、お前が点を取らないと』です。シンプルな言葉ですけど、改めて必死にやらなければと思いました」
――エースとしての自覚を再認識させられた?
「そうですね。あと、3年の時にインターハイの初戦で負けた時には、黒田監督に『仲間をもっと信頼しろ』と言われました。この言葉も印象に残っていますね」
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当時は珍しかったJクラブのユースから高校サッカー界への“移籍”。ただ、全国屈指の名門である青森山田高で、サッカー選手としても、ひとりの人間としても、大きく成長することができた。
8月1日にお届けする後編では、湘南から愛媛へのレンタル移籍を決断した理由、世界との差を埋めるためにはどうすればいいか、同世代のライバルたちへの想いなどをお届けする。