自信が生み出す「健全なエゴイズム」。
逆に言えば、自己中心的に見えるくらいの強引なシュートを打たず、常に最も理に適ったプレー選択をする選手は、決して偉大なストライカーにはなれないということだ。イグアインやC・ロナウド、スアレス、レバンドフスキがDFに囲まれながらも強引なシュートをねじ込んでしまう場面、メッシやアグエロがフリーの味方にパスを出さず強引なドリブルでもう1人、2人をかわしてゴールネットを揺らす場面は、偉大なストライカーの持つ強烈かつ健全なエゴイズムの象徴である。
そのエゴイズムを支えているのは、自らの能力に対する絶対的な自信だ。多くの場合、シュートというのは目の前にある中で最も難易度の高い選択肢である。最も合理的な選択肢とは言えないことも多いし、それだけに失敗すればせっかくのチャンスを潰してしまうというリスクも伴っている。
にもかかわらず、敢えてそのリスクと責任を背負い、難易度の高い選択肢に強引にチャンレンジできるのは、「自分にはそれを成功させる力がある」という圧倒的な自信があるからだ。
もちろん、そうやって試みたシュートがすべてゴールという結果をもたらすわけではない。トップストライカーですら、シュートの本数に対する決定率は20%に届くか届かないか。つまりシュート5本のうち4本は失敗なのだ。にもかかわらずコンスタントに数多くのゴールを決めているのは、それだけ数多くのシュートを打っているからということになる。
シュートが決まらなくとも、ミスをしても、それを引きずることなく強引にシュートを打ち続けるポジティブシンキング能力がなければ、ゴールを積み重ねることは不可能。それをもたらしているのは、やはり自らに対する絶対的な自信である。
最初に挙げた10人のトップストライカーは、体格も違えばプレースタイルも様々だ。しかし、フィジカルではスピード(スプリントとクイックネス)と優れたコーディネーション、メンタルでは強烈なエゴイズムとそれを支える圧倒的な自信という資質は、全員に共通している。
そしてこれらはすべて、強引に数多くのシュートを打ちそれをゴールにねじ込むという行為に収斂していく。偉大なストライカーというのは、シュートというただひとつのプレーに特化したスペシャリストであり、だからこそこれだけ希少価値を持っているのだ。
文:片野道郎
そのエゴイズムを支えているのは、自らの能力に対する絶対的な自信だ。多くの場合、シュートというのは目の前にある中で最も難易度の高い選択肢である。最も合理的な選択肢とは言えないことも多いし、それだけに失敗すればせっかくのチャンスを潰してしまうというリスクも伴っている。
にもかかわらず、敢えてそのリスクと責任を背負い、難易度の高い選択肢に強引にチャンレンジできるのは、「自分にはそれを成功させる力がある」という圧倒的な自信があるからだ。
もちろん、そうやって試みたシュートがすべてゴールという結果をもたらすわけではない。トップストライカーですら、シュートの本数に対する決定率は20%に届くか届かないか。つまりシュート5本のうち4本は失敗なのだ。にもかかわらずコンスタントに数多くのゴールを決めているのは、それだけ数多くのシュートを打っているからということになる。
シュートが決まらなくとも、ミスをしても、それを引きずることなく強引にシュートを打ち続けるポジティブシンキング能力がなければ、ゴールを積み重ねることは不可能。それをもたらしているのは、やはり自らに対する絶対的な自信である。
最初に挙げた10人のトップストライカーは、体格も違えばプレースタイルも様々だ。しかし、フィジカルではスピード(スプリントとクイックネス)と優れたコーディネーション、メンタルでは強烈なエゴイズムとそれを支える圧倒的な自信という資質は、全員に共通している。
そしてこれらはすべて、強引に数多くのシュートを打ちそれをゴールにねじ込むという行為に収斂していく。偉大なストライカーというのは、シュートというただひとつのプレーに特化したスペシャリストであり、だからこそこれだけ希少価値を持っているのだ。
文:片野道郎