数的均衡になる可能性を受け入れている以上、速攻のチャンスを許すことは避けられない。
実際、ブルガリア戦でもボスニア戦でも、日本は十指に余る決定機を作り出している。この2試合が対照的な結果に終わったのは、その決定機を決めることができたかどうかというフィニッシュの精度の違いでしかない。
そこは、戦術ではなく技術、すなわち個のクオリティに左右される部分だ。ことチームとしての戦術的振る舞いだけに焦点を合わせるならば、この2試合の日本代表はきわめてハイレベルなサッカーを見せたと言い切ることができる。
それは守備の局面についても当てはまることだ。チームの重心を上げ、ボールサイドに多くの人数を送り込んでいるため、ボールロスト直後のハイプレス、いわゆるゲーゲンプレッシングは非常に良く機能している。
ボールに対するプレッシャーだけでなく、その周囲の受け手にも連動してプレッシャーをかけているため、素早くオープンスペースにボールを持ち出されてカウンターアタックを許した場面はそれほど多くなかった。
攻撃の局面でチーム全体を押し上げ人数をかけて攻め切ろうという姿勢は、ボールロスト時の組織的かつアグレッシブなハイプレスとセットにならない限り機能しない。
この2試合の日本代表は、攻撃の局面で思い切り良く人数をかけ、攻→守の切り替えでも全員が連動しながらアグレッシブに前に出てカウンターの芽を摘むというポジティブな循環が成り立っており、90分間を通して主導権を握って戦い切ることができた。
もちろん、どちらの試合でも2失点したことは事実だ。しかしこれは、ある意味では仕方のない部分でもある。
ザッケローニ監督の時代よりもさらにチームの重心を上げ、攻撃に人数をかけて戦うというアプローチを選び、その代償としてネガティブトランジション(攻→守の切り替え)時に相手のアタッカーと2対2、3対3の数的均衡になる可能性を受け入れている以上、1試合に何度か相手に速攻のチャンスを許すことは避けられないからだ。
実際、4失点のうち3失点(ボスニア戦の2点目を除く)は守備陣形が整っていない状況で喫したものだ。
そこは、戦術ではなく技術、すなわち個のクオリティに左右される部分だ。ことチームとしての戦術的振る舞いだけに焦点を合わせるならば、この2試合の日本代表はきわめてハイレベルなサッカーを見せたと言い切ることができる。
それは守備の局面についても当てはまることだ。チームの重心を上げ、ボールサイドに多くの人数を送り込んでいるため、ボールロスト直後のハイプレス、いわゆるゲーゲンプレッシングは非常に良く機能している。
ボールに対するプレッシャーだけでなく、その周囲の受け手にも連動してプレッシャーをかけているため、素早くオープンスペースにボールを持ち出されてカウンターアタックを許した場面はそれほど多くなかった。
攻撃の局面でチーム全体を押し上げ人数をかけて攻め切ろうという姿勢は、ボールロスト時の組織的かつアグレッシブなハイプレスとセットにならない限り機能しない。
この2試合の日本代表は、攻撃の局面で思い切り良く人数をかけ、攻→守の切り替えでも全員が連動しながらアグレッシブに前に出てカウンターの芽を摘むというポジティブな循環が成り立っており、90分間を通して主導権を握って戦い切ることができた。
もちろん、どちらの試合でも2失点したことは事実だ。しかしこれは、ある意味では仕方のない部分でもある。
ザッケローニ監督の時代よりもさらにチームの重心を上げ、攻撃に人数をかけて戦うというアプローチを選び、その代償としてネガティブトランジション(攻→守の切り替え)時に相手のアタッカーと2対2、3対3の数的均衡になる可能性を受け入れている以上、1試合に何度か相手に速攻のチャンスを許すことは避けられないからだ。
実際、4失点のうち3失点(ボスニア戦の2点目を除く)は守備陣形が整っていない状況で喫したものだ。