G大阪に敗れたナビスコ杯決勝。「あれから9年、うちはいまだにノンタイトルだから…」
実は中村は、セパハンとの第1戦の1週間前に日本代表のオーストリア遠征から帰国したばかりだった。わずか1週間でオーストリア→日本→イラン→日本とフライトを繰り返し、移動距離は赤道1周分の9割に達していたのだ。
0―0のまま突入した延長前半に足が攣った中村は95分にピッチを退き、PK戦の末にチームが敗れる様子をベンチの前で見届けることになる。
「第1戦でも足が攣って途中交代しているんです。今思えば情けないけど、当時の自分には限界だった。ただ、これを経験したから、その後どんな過密日程にも対応できるようになったと思う」
そう振り返ると、「だんだん思い出してきた! 悔しいな、これ、絶対に勝てたよ」と、改めて悔しさを覗かせた。
ACL制覇の夢がベスト8で潰えた川崎は、2000年以来の決勝進出となったナビスコカップに照準を切り替える。11月3日、国立競技場で行なわれたG大阪との決勝は、どちらに勝利が転がってもおかしくない展開だった。
「ガンバはヤットさん、フタ(二川孝広)、ハシさん(橋本英郎)、ミョウさん(明神智和)と、サッカーを分かっている人たちばかりで、戦っていてとにかく楽しかった記憶がある」
前半にジュニーニョと寺田周平が迎えた決定機をモノにしていれば、川崎が勝っていたに違いない。だが55分、一瞬の隙が命取りになる。安田理大に決められ、これが決勝点となった。
「ガンバはこれが2個目のタイトルですよね。あれから9年、うちはいまだにノンタイトルだから、ずいぶん差がついてしまったな……。覚悟が足りなかったのか、なんなのか……」
ナビスコカップ獲得を逃した13日後、さらなるショックが中村を襲う。日本代表監督のオシムが脳梗塞で倒れ、病院に搬送されたのである。
ひと月前の10月17日、この年最後の親善試合となるエジプト戦が行なわれた。4―1で快勝したあと、サポーターに挨拶しながら「来年もすげえ楽しみだな」との想いを中村は噛みしめていた。「こうやって強くなっていくんだ」という道筋がくっきりと見えたからだった。
ところが、オシムの退任が決まり、中村にとっての日本代表の第一幕は、突然すとんと幕が下りてしまうのだ。
「もうオシムさんと一緒にサッカーができないのかって思ったら、ものすごく悲しかった。俺はオシムさんに抜擢してもらったわけだから、俺がダメならオシムさんの見る目が疑われてしまう。オシムさんの期待は裏切れない。それが当時のプライドだったんです」
0―0のまま突入した延長前半に足が攣った中村は95分にピッチを退き、PK戦の末にチームが敗れる様子をベンチの前で見届けることになる。
「第1戦でも足が攣って途中交代しているんです。今思えば情けないけど、当時の自分には限界だった。ただ、これを経験したから、その後どんな過密日程にも対応できるようになったと思う」
そう振り返ると、「だんだん思い出してきた! 悔しいな、これ、絶対に勝てたよ」と、改めて悔しさを覗かせた。
ACL制覇の夢がベスト8で潰えた川崎は、2000年以来の決勝進出となったナビスコカップに照準を切り替える。11月3日、国立競技場で行なわれたG大阪との決勝は、どちらに勝利が転がってもおかしくない展開だった。
「ガンバはヤットさん、フタ(二川孝広)、ハシさん(橋本英郎)、ミョウさん(明神智和)と、サッカーを分かっている人たちばかりで、戦っていてとにかく楽しかった記憶がある」
前半にジュニーニョと寺田周平が迎えた決定機をモノにしていれば、川崎が勝っていたに違いない。だが55分、一瞬の隙が命取りになる。安田理大に決められ、これが決勝点となった。
「ガンバはこれが2個目のタイトルですよね。あれから9年、うちはいまだにノンタイトルだから、ずいぶん差がついてしまったな……。覚悟が足りなかったのか、なんなのか……」
ナビスコカップ獲得を逃した13日後、さらなるショックが中村を襲う。日本代表監督のオシムが脳梗塞で倒れ、病院に搬送されたのである。
ひと月前の10月17日、この年最後の親善試合となるエジプト戦が行なわれた。4―1で快勝したあと、サポーターに挨拶しながら「来年もすげえ楽しみだな」との想いを中村は噛みしめていた。「こうやって強くなっていくんだ」という道筋がくっきりと見えたからだった。
ところが、オシムの退任が決まり、中村にとっての日本代表の第一幕は、突然すとんと幕が下りてしまうのだ。
「もうオシムさんと一緒にサッカーができないのかって思ったら、ものすごく悲しかった。俺はオシムさんに抜擢してもらったわけだから、俺がダメならオシムさんの見る目が疑われてしまう。オシムさんの期待は裏切れない。それが当時のプライドだったんです」