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【「2007年」の中村憲剛】日本代表、ACL、ナビスコ杯決勝――。激動の1年が、末っ子気質の青年を大人に成長させた

カテゴリ:Jリーグ

飯尾篤史

2016年04月29日

初めて参戦した日本代表の国際大会。「震えましたよ、正直」。

ベトナムで行われたアジアカップではボランチでプレー。俊輔と遠藤を「いかに気持ちよくプレーさせられるか」がテーマだった。(C)SOCCER DIGEST

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 ドイツ・ワールドカップ後に日本代表監督に就任したイビチャ・オシムによって抜擢された中村は、06 年10月4日のガーナ戦で代表デビューを飾る。その7日後のインド戦では代表初ゴールをマークし、11月15日のサウジアラビア戦では堂々と攻撃を組み立てた。
 
 07年を迎え、日本代表の新星として注目される中村への取材攻勢は加熱する一方だった。練習を終えた直後や、クラブハウスを出る間際、車に乗り込む直前にも、多数の記者に囲まれた。
 
「代表に選ばれるようになって、知らない記者からコメントを求められるようになった。どこになにを書かれるのか分からないから、ちょっと怖かった。そういう意味では、メディアとの向き合い方を覚えたのも、この年だった」
 
 07年3月にはヨーロッパでプレーする選手たちが日本代表に合流する。最初に呼ばれたのは中村俊輔と高原直泰だった。
 
 前年に代表デビューを果たしたばかりの憲剛にとって、俊輔も高原もTVでしか見たことがない選手だったから、同じチームでプレーするのが不思議な感覚だったという。
 
「3月のペルー戦の時、ホテルで俊さんと初めて会ったんです。そうしたら『フロンターレの試合、見てるよ』って言われて、すごく嬉しかったなあ」
 
 新体制発足から1年が経った7月、日本代表はベトナムに乗り込んだ。アジアカップに出場するためである。
 
 チーム作りの進捗状況を測る場となるこの大会で、オシムは俊輔を右MFに、遠藤保仁を左MFに配置する。ボランチとして彼らをサポートする任務を託されたのは、憲剛だった。
 
「震えましたよ、正直。ふたりを生かすも殺すも自分次第。だから、考えていたのは、彼らをいかに気持ちよくプレーさせられるかっていうことだった」
 
 気温は30度を優に超え、風がなく蒸し風呂のようなハノイで、オシムジャパンは2勝1分でグループステージを突破し、大会3連覇に向けて突き進む。
 
 憲剛もパートナーの鈴木啓太の支援を受けながら、俊輔と遠藤が欲しいタイミングでボールを供給し続けた。
 
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