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澤穂希の才能と人間性はいかにして作られたのか? 原点と言うべき府ロクから「なでしこジャパン」までを辿る

カテゴリ:日本代表

早草紀子

2015年12月18日

99年ワールドカップで惨敗し、アメリカへの移籍を決意。

世界との力の差を痛感することになった99年のワールドカップ。澤ら若手が主力となって臨んだが惨敗を喫した。(C) Getty Images

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2001年に開幕したアメリカプロサッカーリーグのアトランタ・ビートに所属した澤。ワールドクラスの相手に揉まれながらさらに実力をつけていった。(C) Getty Images

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 澤の代表デビューは15歳。それから18年間、澤は代表選手として走り続けている。彼女にとっての代表チームとは「人生の半分以上を代表として戦ってきているから、帰ってくるとホッとする場所」でもある。
 
 初めて女子サッカーが五輪の正式種目となった96年のアトランタ大会後、先輩たちが退き、澤たちの若い世代が後を引き継いだ。そして、若い力で臨んだ99年のワールドカップでは惨敗。改めて世界との大きな差を痛感させられ、澤はかねてから視野に入れていたアメリカへの移籍を決意する。
 
「こんな強い人たちとサッカーができたら絶対に楽しいはずだし、もっと強くなれる」と確信し、01年に華々しく開幕したアメリカプロサッカーリーグ(WUSA)に挑戦。世界水準の選手にもまれながら、着実に力をつけていった。
 
“中学生トリオ”に話を戻すと、澤はアメリカで、加藤はベレーザで活躍、原は伊賀FCくノ一へ移籍(02年)と、別々の道を歩んでいたが、3人が久々にチームメイトとして名を連ねたのが北京五輪だった。グループリーグ最終戦、ノルウェーとの試合で途中出場した原は、日本の5点目となるゴールを決める。直後、万感の表情で原を力強く抱きしめたのが澤だった。
 
「もう勝負は決まっていたのに、澤が駆け寄ってきてくれて……すごく嬉しかった。いろんな記憶がよみがえってきましたね」(原)
 
 その数分後、加藤がピッチに送り出され、“中学生トリオ”が再び、同じピッチに立った。「オリンピックの舞台で、また3人でプレーできるなんて思っていなかったから、あの数分間はすごく嬉しかった」と、澤も特別な時間だと感じていた。
 
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