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澤穂希の才能と人間性はいかにして作られたのか? 原点と言うべき府ロクから「なでしこジャパン」までを辿る

カテゴリ:日本代表

早草紀子

2015年12月18日

全少は出場できずも、招待大会で全国区の男子チーム相手に自分の力を証明。

人見知りが激しかった少女は逞しく成長し、やがて日本を世界一へ導くプレーヤーへと変貌を遂げた。(C) Getty Images

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 女子選手ということで悔しい想いもしてきた。全日本少年サッカー大会は、子どもたちにとっては夢の舞台である。しかし、“少年”という名称が示すとおり、当時は女子選手の出場が認められていなかった。
 
「非常に悔しかったと思いますよ。私たちとしても、チームとして交渉はしてみたんですけど、例外は認められなくてね……」(佐々木)
 
 だからこそ、全国大会の常連チームが集う富山での大会に招待された時のことを、佐々木は今でも鮮明に覚えている。
 
「決勝戦の先取点は澤が決めて、大会も優勝しました。この時の経験が一番印象に残っていて嬉しかったと、彼女は今でもポツリと言うことがありますね。私は勝手に、あの時、全国大会には出られなかったからだな、と思っていますけどね」(佐々木)
 
 全国の舞台に立てなかった澤にとって、この富山での大会は全国区のチームを相手に戦える貴重な舞台だった。その決勝での活躍によって、自身の実力を証明してみせた。
 
 そんな負けず嫌いの部分もあれば、ホロリとさせられることもあったと佐々木は振り返る。
 
「人見知りで、口数は少なかったですよ。でも、根は優しくて、思いやりがあって、すごく気が利く子でした。遠征時など、私が大きなバッグを持っていると、スッと傍に寄ってきて、一緒にバッグを持ってくれるんです。まあ、私が60歳になってから指導した子ですからね。孫みたいなもんですよね」(佐々木)
 
 中学生になった澤は読売サッカークラブ女子・ベレーザ(現日テレ・ベレーザ)の下部組織であるメニーナに入団し、すぐさまベレーザに昇格することになる。学校が終わると、佐々木の自宅で制服からジャージに着替え、練習へと向かう日々がしばらく続いた。
 
 練習後、学校の道具などを取りに佐々木の家に戻ってくるのは夜遅くなってから。そんなハードスケジュールにも澤は根を上げることはなかったが、佐々木を始め、多くの人の温かいサポートがあったからこそ、好きなサッカーに打ち込むことができたのだろう。
 
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